表現と人間が別、をもっと解像度高く
ひょうげんとにんげんがべつをもっとかいぞうどたかく
GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーの性加害と、SNSに出た謝罪文をめぐって話される。
番組より
そのまま事件自体は本当に悲しいことでね。被害に遭われた方が本当に少しでも速やかに。
だからその表現にめちゃめちゃくらった人たちとかね、武道館とか記憶に新しいと思うけど、その開かれた感覚自体は。それをやってたやつがどうだとか何をしたとかと、これ表現と人間が別みたいな話を、もうちょっと繊細に解像度高く言うことだと思うんだけど。
やっぱり人生のそのタイミングでGEZANに出会わなければ。
この項目について
荘子itはまず、事件自体は本当に悲しいことで、被害に遭われた方のことがまず先決だと断る。そのうえで、自分は熱心なファンではなく同世代の同業者という距離だったけれど、その表現にめちゃくちゃくらった人たちがいる——武道館も記憶に新しい——その開かれた感覚自体をどう考えるか、と続ける。それをやっていた奴がどうだとか何をしたとか、ということと、表現と人間が別だという話を、もうちょっと繊細に、解像度高く言うことが要るのではないか。これまでGEZANを聞いてめちゃくちゃ変化があった人にとって、それが無くても大体可能だったかもしれないとしても、人生のそのタイミングでそれに出会わなければ、という部分は残る。政治的な発言とされる幅が狭すぎるの話は、この直後に出てくる。
この項目が出てくる回
関連項目
- 世界への信頼を取り戻すいま、この世界を信じる・肯定するというのは難しいことだと思うけれど、それをやっている感じがあるし、自分もそれをやりたい——福尾がそう言うのを受けて、荘子itが最近よく言っていることとして出す。
- 知ることは動詞21世紀に書かれる『新・人間知性論』とは何なんだろう、という福尾の問いから。
- 政治的な発言とされる幅が狭すぎるそれぞれがしっくりくる形で言葉を言えるかどうかが大事で、自分は自分なりのやり方でそれをするしかない——という話のあとで、福尾が言うこと。
- ポストモダンを通過していない人から順におかしくなっている二項対立は脱構築したほうがいい、自分はあまり脱構築とか言ってこなかったが普通に脱構築しろよ、という流れで福尾が言う「めっちゃぼやっとした雑感」。
- 全体がバケツリレーに見える性加害があり、SNSに謝罪文が出て、そのなかでいろいろ言われていて、今は加害者プログラムを受けていて云々——その全体が半分バケツリレーに見えてしまう、と福尾は言う。
- 無自覚な暴力性理念として否定している暴力と、自分自身の無自覚な暴力性とが、まさに対応してしまう。
- 信用と信頼自分がやろうとしている方向性は、いわゆる宗教的な「信じる」ではなく信頼という言葉のほうだ、と荘子itは言う。
- マヒトゥ・ザ・ピーポーGEZANのボーカル。