知ることは動詞
しることはどうし
21世紀に書かれる『新・人間知性論』とは何なんだろう、という福尾の問いから。
番組より
知性ってすると性質っていうか、蓄積されて備わってるものだけど、知ること自体はやっぱり動詞だからね。やっぱり人間には独特の知っていき方があるわけだからね。
この項目について
知性というと蓄積されて備わっている性質だが、知ること自体はやはり動詞である、と荘子itは言う。人間には人間に独特の知っていき方があって、福尾の日記論——すでに語られたものを自分で語り直す——の話もそうで、より新しいものを知るとか思いつくというよりも、自分で知る、それをしっくり自分で落とす。それが知性であり、知り方なのではないか。
この項目が出てくる回
関連項目
- 世界への信頼を取り戻すいま、この世界を信じる・肯定するというのは難しいことだと思うけれど、それをやっている感じがあるし、自分もそれをやりたい——福尾がそう言うのを受けて、荘子itが最近よく言っていることとして出す。
- 政治的な発言とされる幅が狭すぎるそれぞれがしっくりくる形で言葉を言えるかどうかが大事で、自分は自分なりのやり方でそれをするしかない——という話のあとで、福尾が言うこと。
- ポストモダンを通過していない人から順におかしくなっている二項対立は脱構築したほうがいい、自分はあまり脱構築とか言ってこなかったが普通に脱構築しろよ、という流れで福尾が言う「めっちゃぼやっとした雑感」。
- 表現と人間が別、をもっと解像度高くGEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーの性加害と、SNSに出た謝罪文をめぐって話される。
- 全体がバケツリレーに見える性加害があり、SNSに謝罪文が出て、そのなかでいろいろ言われていて、今は加害者プログラムを受けていて云々——その全体が半分バケツリレーに見えてしまう、と福尾は言う。
- 無自覚な暴力性理念として否定している暴力と、自分自身の無自覚な暴力性とが、まさに対応してしまう。
- 信用と信頼自分がやろうとしている方向性は、いわゆる宗教的な「信じる」ではなく信頼という言葉のほうだ、と荘子itは言う。
- マヒトゥ・ザ・ピーポーGEZANのボーカル。