2026年8月3日
大切な話
ジャケットの白髪の猿の話から、荘子itのソロ『東京コンプレックス』へ。中盤、GEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーの性加害と謝罪文を受けて、表現と人間を分けるという言い方の解像度、政治的な発言とされる幅の狭さ、無自覚な暴力性について話す。終盤は、世界への信頼を取り戻すということと、知ることは動詞だという話。
話の流れ
- 0:09オールブラック野郎そんなにソリッドではないけれど。ぼやっと黒い。
- 2:41車内灯が一個灯っているだけでめちゃめちゃ弱い力なのに、その一点だけで車のなかがこんなに明るくなる。そのなかに白いヘルメットがある。
- 5:21白髪の猿ジャケットの話。リアルに白髪だ。
- 8:01当日でも入れるようにしているライブの告知。CDR付きも今の時点では微妙に残っているかもしれない。
- 10:41ヒップホップど真ん中それが嬉しい。ど真ん中だが、人を選ぶという意味ではなく、だからこそ。
- 13:21一つに決めないDos Monosをやっていると、その流れで自分のソロアルバム『東京コンプレックス』も。
- 16:03自分にできることの全部をやろうとするそれはいいのかもしれない。
- 18:43力の湧き出口枯らしてはいけないエネルギー。スルーもできることに100%首を突っ込んでくる。
- 19:04奇妙な文章だったGEZANの謝罪文について。悲しいほどだった。
- 21:45事件自体は本当に悲しいこと被害に遭われた方のことがまず先決だと断ったうえで。本人はこれから罪と罰に向き合っていくのだろうと。
- 22:24開かれた感覚自体はその表現にめちゃくちゃくらった人たちがいる。武道館も記憶に新しい。表現と人間が別だという話を、もう少し繊細に解像度高く言うこと。
- 23:38人生のそのタイミングで出会わなければそれを聞いてめちゃくちゃ変化があったのなら、それが無くても大体可能だったかもしれないとしても。
- 21:24無自覚な暴力性理念として否定している暴力と、自分の無自覚な暴力性とが対応してしまう。
- 24:05人を引きつける能力本もちゃんと読んで、文章における文才はめちゃめちゃ高いと思っていた。
- 26:46堕落論的なところそう言われるとあれなのだが、俺そういうスタンスだったんだっけ、と思う。『東京コンプレックス』でも言っている。
- 29:29政治的な発言とされる幅が狭すぎる政治的なものは身の回りに溢れていて、いろんな政治があるはずなのに。
- 32:09作品と人間を分けられるのか考えがいのある問題のはずなのに、一足飛びに「政治家か音楽家か」のような話になる。
- 35:04全体がバケツリレーに見える謝罪文が出て、そのなかでいろいろ言われて、加害者プログラムを受けていて、という一連が。
- 34:5521世紀にイエスと言ってくれる人いま、この世界を信じる、肯定するのは難しいことだけれど、それをやっている感じがある。
- 37:01世界への信頼を取り戻すこういうことがあるたびに世界は信用に値しないという感覚になる気持ちはわかる。でも信頼に値する部分はいっぱいある。
- 40:43人間らしい正気だな、と思う。少しだらしないことも人間らしいとされる、昭和的な意味での復権もあるけれど。
- 43:20知ることは動詞知性というと蓄積されて備わっている性質だが、知ること自体は動詞である。
- 46:05怒りを集めている暴いていくから、そこに預けている人が切れる。ボキャブラリーでいけると思っている人たち。
- 48:46たまたま取っていないだけ思い上がりということではなく。
- 51:27面白さに身を預けている一般の人には意味不明かもしれないが、面白くて何が悪い、という感じ。
- 54:08面白いんです、はちょっと恥ずかしい大事なんです、といろいろ言える中で、面白いんですと言うのは恥ずかしい、という空気があった。
- 56:51無限にやっている中に告知もある告知なんかしなくていいとずっと言っていた人が、今は告知派になっている。ある意味で本来のXの使い方をしている。
- 59:15ポストモダンを通過していない人から順におかしくなっているデリダやドゥルーズを読めという話ではなく。ポリコレ的なものが一度脱色されて、世俗道徳的な部分だけ一般化してしまった。
- 1:02:11後出しジャンケンにはなるけれど通っている感じはしない、というのは見ていれば分かる。
- 1:04:52足腰の部分にあるものナショナリズム回帰でもなんでもないだろうし、東浩紀の足腰にあるポストモダニズムから受け継いだものの方が大事だと思う。
- 1:07:32集合無意識に浮かされる状態前近代的というか、そういう状態に入るのはすごいエネルギーを生むのだが。
この回で出てきた言葉
- GEZANマヒトゥ・ザ・ピーポーのバンド。
- 車内灯が一個灯っているだけでめちゃくちゃ弱い光なのに、その一点だけで車のなかがこんなに明るくなる。
- 白髪の猿ジャケットの猿の話。
- 知ることは動詞21世紀に書かれる『新・人間知性論』とは何なんだろう、という福尾の問いから。
- 信用と信頼自分がやろうとしている方向性は、いわゆる宗教的な「信じる」ではなく信頼という言葉のほうだ、と荘子itは言う。
- 政治的な発言とされる幅が狭すぎるそれぞれがしっくりくる形で言葉を言えるかどうかが大事で、自分は自分なりのやり方でそれをするしかない——という話のあとで、福尾が言うこと。
- 世界への信頼を取り戻すいま、この世界を信じる・肯定するというのは難しいことだと思うけれど、それをやっている感じがあるし、自分もそれをやりたい——福尾がそう言うのを受けて、荘子itが最近よく言っていることとして出す。
- 全体がバケツリレーに見える性加害があり、SNSに謝罪文が出て、そのなかでいろいろ言われていて、今は加害者プログラムを受けていて云々——その全体が半分バケツリレーに見えてしまう、と福尾は言う。
- 東京コンプレックス荘子itのソロアルバム。
- 表現と人間が別、をもっと解像度高くGEZANのマヒトゥ・ザ・ピーポーの性加害と、SNSに出た謝罪文をめぐって話される。
- ポストモダンを通過していない人から順におかしくなっている二項対立は脱構築したほうがいい、自分はあまり脱構築とか言ってこなかったが普通に脱構築しろよ、という流れで福尾が言う「めっちゃぼやっとした雑感」。
- マヒトゥ・ザ・ピーポーGEZANのボーカル。
- 無自覚な暴力性理念として否定している暴力と、自分自身の無自覚な暴力性とが、まさに対応してしまう。
この回からの引用
GEZANの謝罪文は本当に奇妙な文章だったな。
そのまま事件自体は本当に悲しいことでね。被害に遭われた方が本当に少しでも速やかに。
だからその表現にめちゃめちゃくらった人たちとかね、武道館とか記憶に新しいと思うけど、その開かれた感覚自体は。それをやってたやつがどうだとか何をしたとかと、これ表現と人間が別みたいな話を、もうちょっと繊細に解像度高く言うことだと思うんだけど。
やっぱり人生のそのタイミングでGEZANに出会わなければ。
なんか政治ってさ、これをやったら政治的なことを言ったことになるっていうことの幅が狭すぎるんじゃないかなと思うんだよね。別に政治的なものってさ身の回りに溢れてるわけだからさ、いろんな政治があるはずなんだけど。
性加害を犯してしまって、でそれでSNSで謝罪文が出て、でその謝罪文の中でなんかいろいろわーって言ってて、今加害者プログラムを受けてて云々みたいなことの全体がさ、半分なんかバケツリレーに見えちゃう。
やっぱなんか世界への信頼を取り戻すっていう感覚。やっぱりこういうことあるたんびに、やっぱ世界は信用に値しないなみたいな感覚になる気持ちがめっちゃわかるんだけど、いや全然信頼に値する部分がいっぱいあるっていうことだよね。
信頼って言葉使うんだけど、信用と信頼の違いみたいなことなのかもしれないけど。
→ 信用と信頼
福尾もよく身を預けないっていうけど。
→ 信用と信頼
知性ってすると性質っていうか、蓄積されて備わってるものだけど、知ること自体はやっぱり動詞だからね。やっぱり人間には独特の知っていき方があるわけだからね。
→ 知ることは動詞
めっちゃぼやっとした雑感として、ポストモダンをちゃんと通過してない人から順におかしくなってるなって感じがあるの。別にそれはデリダ・ドゥルーズ・フーコーちゃんと読めとかそういう話じゃなくて。
でもそれが一回アメリカで完全に脱色されて、ぐちゃぐちゃした部分が脱色されて、なんか極めて世俗道徳的な部分だけ一般化しちゃったみたいな。