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解放される対象であることを拒否する

かいほうされるたいしょうであることをきょひする

荘子itは「ヒロインと恋愛関係にならずに、彼女を負のループから解放する」 タイプの話がすごく好きだ。

初出
物語の楽しみ方、フォークナーから推し活まで(2025年10月13日)

番組より

解放される対象としての振る舞いを求められ、作者フォークナー、その創造した人物から求められても、それをキャラクター自体が裏切るような振る舞いをするっていうところに、映画ではなかなかうまく表現できない文学ならではの可能性があるんです、みたいな。

この項目について

だがそれは現実の女性解放とは何の関係もない。 むしろ、そういう物語は「不遇の女性キャラクター」を必要としている点で 反フェミニズム的なのではないか——アートウォッシングのように、 物語の中で解放感を生むことによって、かえって現実を硬直化させ、 ガス抜きになってしまうのではないか。 そう思ってChatGPTにガチで相談したところ、こう返ってきたという。 『八月の光』のようなものでは、まさにその「解放される女性」として 要請されるキャラクター像であることを、キャラクター自身が拒否する、 攪乱するような身振りを見せる。作者——フォークナー、 つまり自分を創造した人物——から解放される対象としての振る舞いを 求められても、それを裏切るように振る舞う。 そこにこそ、映画ではなかなかうまく表現できない文学ならではの可能性があり、 それは現実の女性解放にもつながるはずだ、と。 「いやすごいなと思って。ちゃんと読んでないんだけど、そうかもしれないという 気持ちにさせられた」。

この項目が出てくる回

関連項目

韻を踏んでいること

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