八月の光書籍
はちがつのひかり
どうしても入ってこなくて途中でやめていたが、読み直したらとんでもないと思った。
『百年の孤独』のようなマジックリアリズム的なものの源流というか、それを最初に一番濃い形でやった人ということだと思う。
2025年10月13日の回
福尾が読破して絶賛。500ページのあいだずっと「真ん中から始める」ことが繰り返される。名作とされるものは『戦争と平和』のように綺麗な大団円かと思いきや、実際に読むとまったく印象が違う。
2025年10月27日の回
福尾が繰り返し戻ってくる小説。この回では「今思えばパラサイトものだ」として、『ミゼリコルディア』と並べて語られる。白人の未亡人の館の裏の小屋に主人公が住み着き、最終的に彼女を殺す。その未亡人は北部から来て南部で黒人を支援していた人物で、当時それは白い目で見られていた。「葉っぱの影が白いシャツの上を流れた」という一行の描写が挙げられる。
この項目が出てくる回
関連項目
- 立ち上げ恐怖症福尾が自分の症状として言い出す。
- 行くまでの道中も含めて鈴木忠志の演劇を利賀村まで見に行くことについて。
- 知っている人間がこんなふうに見える大学1年生のとき、TaiTanたちが劇団の1年生公演をやったのを見て、涙が止まらなかったという話。
- 世界は病院である鈴木忠志の演出の特徴は車椅子演劇で、役者がみんな車椅子で移動する。
- 3割打者と2割5分打者福尾が最近落ち着くのは、自分に全然関係ない世界のことを解説しているYouTubeだという。
- 知らないことがいいことでも悪いことでもない状態靖国の話をしたり日本の話をしたりしていて、「大事だと思って喋っているんだけど、本当かな」とふと思ってしまう、と福尾。
- 淡々と人が喋っているのを聞いていたいコテンラジオやゆる言語学ラジオのような教養コンテンツが来ているのは、教養の復権という話ではなく、ある程度長い、変な高低のないコミュニケーションをずっと聞いていられるということでしかない気がする、と福尾。
- 遡って見つけたものを起源として祀らない日本的なものを求めて考え抜いた末に、素朴に右派的な結論に行ってしまう——中島岳志の縄文の本も、國分功一郎の『原子力の哲学』も、その解毒作用の本として読める、と荘子it。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
- 鬼滅の刃とシャーマンキングの違いuoiai・『鬼滅の刃』は、古き良き日本的なものと近代化・個人主義の波が同時に来ている大正時代を舞台にしていて、鬼舞辻無惨たち鬼は西洋風の格好をした不老不死=個人主義の極北、炭治郎たちは仲間や家族のために戦うというイデオロギー闘争として読める。
- 空間の話をしないoiai・空間的なものの話はするのに、空間の話はしない——それが日本の思想や批評のすごく大きな弱点だ、と福尾はずっと思っている。
- 相談という手を取った置き配oiai・相談の形をとってはいるが、実は「その人にそのことを言っとく」というメタデータの方が本体になっているコミュニケーションのこと。
- 誰も薬の話をしないoiai・ケアや精神分析の2020年代的な消費のされ方を見ていて不思議なのは、誰も薬の話をしないことだ、と福尾。