物語だけがドライブしていない状態
ものがたりだけがどらいぶしていないじょうたい
物語が大事なのではない、と言い切って本当に物語を退けると、それはそれで面白くない。
物語には向き合わなければならないが、そのなかで「物語だけじゃない」と言えること。 そのバランスが大事なのではないか。『ミゼリコルディア』も『海辺へ行く道』も ちゃんと物語ではあるし、『旅と日々』は脚本家が主人公で物語を求めている人物でもある。 ゴダールやシュルレアリスムのように物語がまったくない映像詩にはならない、 そこに面白さがあるのではないか。
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関連項目
- 白昼夢感『旅と日々』『海辺へ行く道』『ミゼリコルディア』のような、 フィクションでもドキュメンタリーでもない淡いのものを、つい「夢みたい」と言ってしまう。
- 映画に一番似ているのは映画館を出た後の雨ドゥルーズ『シネマ』の議論。
- 真ん中から始めるフォークナー『八月の光』を読んだ福尾の見立て。
- 努力に対して報酬があると理解させる福尾のエッセイ講座のレジュメにあった原則。
- 解放される対象であることを拒否する荘子itは「ヒロインと恋愛関係にならずに、彼女を負のループから解放する」 タイプの話がすごく好きだ。
- 括弧つきの男の子っぽさ『8番出口』を絶賛したが、あれもいくらでも批判の余地がある、と荘子itは言う。
- William Faulkner『八月の光』を福尾が読破した。
- 保坂和志物語ではないところに小説の面白さがある、と言い続けてきた人として名前が挙がる。