躁でも鬱でもなく平熱
そうでもうつでもなくへいねつ
「人の欲望に手を突っ込むな」という福尾の言葉がツイートとして伸びたことについて、 荘子itは「対立せずにこの微妙な塩梅で考えよう、ということを言っているんだと思う」 と読む。
番組より
どっちかの立場に立たざるを得ないっていうのに、みんなマジで辟易してるから。躁でも鬱でもなくそっけなく、みたいなことをすごくいいと思ってるっていうムードもあるんだな。
アルコールの時代からカフェインの時代じゃないけどさ。みんなどっちかっていうと、アルコールで打ち解けてたのが、カフェインで打ち解けるというか。
この項目について
どっちかの立場に立たざるを得ないことにみんな本当に辟易しているから、 「躁でも鬱でもなく、そっけなく」という態度がすごくいいと思われるムードがある。 福尾はそれを sobriété——そっけなさとも、シラフである(酔っていない)とも 訳せる言葉——に結びつける。荘子itは「アルコールの時代からカフェインの時代」 という言い方でこれを受ける。みんなアルコールで打ち解けていたのが、 カフェインで打ち解けるようになった。 この回のタイトルである「男性どうしでお茶いけない問題」が、 ここで一周して戻ってくる。
この項目が出てくる回
関連項目
- 標準語のタメ口で疑問文が言えない福尾が前々からずっと気になっていること。
- グルーミングのなさグルーミングは今でこそセクハラ・パワハラの温床である「飼いならし」のイメージが 一般化しているが、もともとは毛づくろいの意味で、大事なものとして使われていた。
- 逆張り性と熱狂の悪魔合体逆張り的でアイロニカルな感性でやりながら、同時にそれで人が本当にぶち上がってしまう。
- 芸術は立場をはぐらかしながらにじり寄れる現実では「リベラルとかどうでもいいから男磨きしよう」か 「そういうのは全部時代遅れだから批判していこう」のどちらかのポジションを 取らされてしまう。
- 本音を言ったことになるための手続き「そういう形式にしまわないと本音を言ったことにならない」ことの強引さのほうが 気になる、と福尾は言う。
- 非対称性の保存現に存在する暴力を、芸術はある意味で別の形に保存する。
- 反実現Gilles Deleuze は芸術をパントマイムになぞらえて語る。
- 男子校的コミュニケーションの感覚の歪み荘子itが東浩紀の髪について「ハゲ散らかした」と言ったことを、 福尾が休憩中に「言葉としてそういう表現をするのはいかがなものか」と指摘し、 荘子itが放送に戻ってから訂正する場面。