標準語のタメ口で疑問文が言えない
ひょうじゅんごのためぐちでぎもんぶんがいえない
福尾が前々からずっと気になっていること。
番組より
標準語・東京弁のタメ口の疑問文って、否定疑問文にしないと言えない感じがあって、なんか喉に引っかかる感じがずっとあるっていうか。
この項目について
標準語・東京弁のタメ口で「何してるの?」と言うのに勇気がいる。ねっとりして、めめしく感じてしまう。「〜じゃない?」という否定疑問文にしないとナチュラルに言えない。西日本の方言(岡山弁の「何しょんの」、関西弁の「何してんの」)ではこの引っかかりは生じないのではないか。ネットでも現実でも、エセ関西弁の「なんでや」「どうしたんや」でその気恥ずかしさをカバーしている。女性は相手が誰であれストレートに言える気がする、という意味で男性性の問題でもある。
この項目が出てくる回
関連項目
- グルーミングのなさグルーミングは今でこそセクハラ・パワハラの温床である「飼いならし」のイメージが一般化しているが、もともとは毛づくろいの意味で、大事なものとして使われていた。
- 逆張り性と熱狂の悪魔合体逆張り的でアイロニカルな感性でやりながら、同時にそれで人が本当にぶち上がってしまう。
- 芸術は立場をはぐらかしながらにじり寄れる現実では「リベラルとかどうでもいいから男磨きしよう」か「そういうのは全部時代遅れだから批判していこう」のどちらかのポジションを取らされてしまう。
- 本音を言ったことになるための手続き「そういう形式にしまわないと本音を言ったことにならない」ことの強引さのほうが気になる、と福尾は言う。
- 躁でも鬱でもなく平熱「人の欲望に手を突っ込むな」という福尾の言葉がツイートとして伸びたことについて、荘子itは「対立せずにこの微妙な塩梅で考えよう、ということを言っているんだと思う」と読む。
- 非対称性の保存現に存在する暴力を、芸術はある意味で別の形に保存する。
- 反実現Gilles Deleuze は芸術をパントマイムになぞらえて語る。
- 男子校的コミュニケーションの感覚の歪み荘子itが東浩紀の髪について「ハゲ散らかした」と言ったことを、福尾が休憩中に「言葉としてそういう表現をするのはいかがなものか」と指摘し、荘子itが放送に戻ってから訂正する場面。