シットシッポ Wiki

本音を言ったことになるための手続き

ほんねをいったことになるためのてつづき

「そういう形式にしまわないと本音を言ったことにならない」ことの強引さのほうが 気になる、と福尾は言う。

初出
「男性どうしでお茶いけない問題」について考える(2025年10月20日)

番組より

それぞれの社会の中で本音とされるまでにいろんな手続きがありますよねみたいな、内容より形式見た方が面白いですよねっていうのが、めっちゃざっくり言うとフーコーのパレーシア論だったと思うんだけど。

この項目について

それこそフーコーのパレーシア論が そういう話だった—— 古代ギリシャならこういう手続きを踏んでこう言えば本音を言ったことになったし、 近代なら精神分析のカウチに寝そべって自由連想で喋れば その人の真理が出てきたことになる。 そのどれが本当の真理を語っているかよりも、 それぞれの社会の中で本音とされるまでにいろいろな手続きがあること、 つまり内容より形式を見たほうが面白い。 では今の社会では、何をすれば本音を喋ったっぽい感じが生まれるのか。 かつては夜に酔っ払って居酒屋でくだを巻くのが本音のイメージだったが、 いまは昼に喫茶店でお茶をしながら喋ることのほうへ寄ってきている。 なぜこう変わるのか、というのがこの回の核にある問い。 お気持ちと実感(本音とされるもののゾーンがあらかじめ決まっている)と 同じ問題を、形式の側から見たもの。

この項目が出てくる回

関連項目

となりで喋られていたこと

この項目に言及している項目