Michel Foucault哲学者
みしぇる・ふーこー
晩年のパレーシア(parrhesia=真理を語ること)論が参照される。
それぞれの社会の中で「本音を言った」とみなされるまでの手続きを、 内容ではなく形式の側から分析したものとして読まれている。
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関連項目
- 標準語のタメ口で疑問文が言えない福尾が前々からずっと気になっていること。
- グルーミングのなさグルーミングは今でこそセクハラ・パワハラの温床である「飼いならし」のイメージが 一般化しているが、もともとは毛づくろいの意味で、大事なものとして使われていた。
- 逆張り性と熱狂の悪魔合体逆張り的でアイロニカルな感性でやりながら、同時にそれで人が本当にぶち上がってしまう。
- 芸術は立場をはぐらかしながらにじり寄れる現実では「リベラルとかどうでもいいから男磨きしよう」か 「そういうのは全部時代遅れだから批判していこう」のどちらかのポジションを 取らされてしまう。
- 本音を言ったことになるための手続き「そういう形式にしまわないと本音を言ったことにならない」ことの強引さのほうが 気になる、と福尾は言う。
- 躁でも鬱でもなく平熱「人の欲望に手を突っ込むな」という福尾の言葉がツイートとして伸びたことについて、 荘子itは「対立せずにこの微妙な塩梅で考えよう、ということを言っているんだと思う」 と読む。
- 非対称性の保存現に存在する暴力を、芸術はある意味で別の形に保存する。
- 反実現Gilles Deleuze は芸術をパントマイムになぞらえて語る。