眼がスクリーンになるとき書籍
めがすくりーんになるとき
ドゥルーズ『シネマ』論。
荘子itは2018年に読んで「途中からSF小説を読んでいる感覚に なった」と言う。ロジックは通っているのにいつのまにかありえない場所に着いている。 当時は良し悪しを判断できず、それは自分がまだ哲学や批評に 「アーティストとしての表現とは別のもの」を求めていたからだと振り返る。
2025年10月27日の回
福尾の最初の本。ドゥルーズ『シネマ』についてのゼロ度の映画論。 「リテラリティ」を重要概念として掲げている。 ドゥルーズがベルクソンに対してやったことをドゥルーズに対してやっているため、 構造上、解説のように見えてしまう。
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関連項目
- ガチャガチャ感こそがリアルリアルなものは透明でシンプルなフォーマットに収まると思われがちだが、 むしろバラバラでまとまりがないことのほうがリアルだという逆説。
- 職業としての嘘哲学者もアーティストも「ほぼ嘘つき」に近い職業である。
- 5センチ浮いてしまう最初から高みにあるものを地上から仰ぎ見るのではなく、 同じ目線で読み進め聴き進めていたら、いつのまにか5センチほど宙に浮いてしまっている。
- 構造は後からついてくるコード理論やポリリズムの構造から曲を作るのではなく、 まだ分析の言葉がついていない現象から食らった体験をそのまま作品にする。
- わけのわからなさ複雑さや高度さのことではない。
- ドブ板選挙トークイベントで数十人を相手に話し、サイン会で一人ひとりと2、3分雑談する。
- ポストポストアポカリプス番組名の候補として挙がった福尾の言葉。
- 千葉雅也『非美学』の紀伊國屋じんぶん大賞受賞記念トークイベントで福尾と対談し、 その終演後に荘子itと福尾が初めて対面した。