いいやつだと思われたら終わり
いいやつだとおもわれたらおわり
ケアという言葉を使いたがらない理由として福尾が挙げる、自分のポリシー。
番組より
人文学ってさむずいのが、いいやつだと思われるっぽい武器が多すぎるんだよ。ケアもそうだしネガティブケイパビリティとかもそうだし。これ言ったらいいやつっぽく見えるでしょみたいな。
欲望アウトソーシングしちゃうんだよね、いい人って。でもやっぱ一番大事なのは自分がしたいかどうか。
この項目について
人文学は「いいやつだと思われるっぽい武器」が多すぎる—— ケアもそうだし、ネガティブ・ケイパビリティもそう。 「これを言ったらいいやつっぽく見えるでしょ」という道具立てが多すぎるから、 それはそうだなと思ったら絶対に触らない、という自分ルールがある。 問題は欲望をアウトソーシングしてしまうこと—— いい人は「これが必要だからやる」「やるべきだからやる」と言うけれど、 一番大事なのは自分がしたいかどうか。 いいことは、その欲望に向き合うことから目をそらす口実になりがち。 荘子itも「積極さくないところがいいところ、と言われている作品でも、 結果的にいい人っぽいオーラをまとっているのを感じると引く。 かといって露悪的なのも嫌い」と受ける。
この項目が出てくる回
関連項目
- 修行してから世に出ようとするな福尾がフィロシャピーのエッセイ講座でよく言うこと。
- 通念のフィルターに自分を通す変な操作内向的か外向的か、という世に言う通念——常識のようなもの——があって、それに一度自分を通してみて、どちらになるかを見る。
- 質問で最後に大きく転ぶ仕込みかと思うくらい、質問によって話が最後に大きく転んで大テーマにたどり着くことが結構ある。
- 反か脱か非か、その次に異現代思想系の人がよく言うこと——破壊ではなく脱構築だとか、反戦ではなく非戦だとか(それは坂本龍一だが)。
- そこからその結論が出てくるのか福尾が荘子itについて言うこと—— **一個一個の言っていることはすごくよく分かるし共感する部分も多いのに、 次の一歩がどこに行くかが常に分からない。
- 自認は自分にしか分からないはず「自認レゼ」のように、他人の自認を勝手に当て込んで言う—— それは言うまでもなく失礼だし、めっちゃ変な気がする、と福尾は言う。
- ADHDの身体をプレイしている2〜3時間かける詳しい検査を受けて診断が下りている。
- 嫉妬は他人に貼り付けられる私的言語「令和人文主義への批判は結局は嫉妬なのでは」というリスナーの問いに答えて。