フィルモグラフィーとしての連続性
ふぃるもぐらふぃーとしてのれんぞくせい
リレー走かハンマー投げかを、荘子itが自分の側に引き寄せる。
番組より
映画監督のフィルモグラフィーって、振り返ってみればこの時の作品からこの作品に何かが受け継がれたりとか共通しているものがあったりとかもいろいろ言えるけど、言っても一個一個バラバラじゃん。
バラバラな事情で生まれているものが、でもその作家のフィルモグラフィーとして一個繋がっていると言えるみたいな、なんかその感じ。
この項目について
連続ドラマは、話数が進んでも監督が変わっても、 一つの流れであることが意識されている。 映画監督のフィルモグラフィーは、 振り返ればこの作品からこの作品へ受け継がれたものがあると言えるけれど、 一個一個はバラバラな事情で生まれている。 それでも作家のフィルモグラフィーとして一個つながっている、と言える。 野球やアメフトが1回ごとに区切られているのに対し、 サッカーは一度もボールが外に出なければセットプレーが生まれない—— アメリカは野球・アメフト・映画で、 ヨーロッパのサッカーとはなんとなく違う、とも言う。
この項目が出てくる回
関連項目
- タバコの切れ目が1日の終わり生活時間もぐちゃぐちゃで、毎日決まったところに出勤しているわけでもない。
- SNSの人格が固定していくXでの口調がころころ変わるのはなぜか、という話。
- バラッと集まって全体を成すドゥルーズが英米文学に透かし見ているのは、バラッと集まって、なんとなく全体を成しているという全体性のイメージなのではないか、と福尾は言う。
- タバコを吸わなくて済むようにタバコを吸っている鍼灸師に勧められて読んだ『禁煙セラピー』について。
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- 無意識的な断捨離福尾が日記で書いていたフロイトの話—— **物をなくすのも、ある種の無意識の意味がある行為なのだ。
- 平行処理に対応するガジェットが目の前にあるADHDが一つの時代を象徴する病になっていることについて福尾が言うこと。