人工的なリアルとリアルな人工性
じんこうてきなりあるとりあるなじんこうせい
映画は自然主義的なものがかっこいいとされがちで、古くはアンドレ・バザンのモンタージュ批判から、今ならホン・サンスまで。
番組より
本当のリアリズムもないし、純粋な人工的なものもなくて、人工的なリアルがあるだけだし、リアルな人工性があるだけだと思うんだけど。
映画から受け取るべきものは、映画自体を信仰の対象にしてもいいんだけど、映画で培った何かを信じる、人工的なものを本物だという、むしろそれは境がないんだっていう、そういうようなことを悟る体験を映画から持ち帰る。
この項目について
でも映画は機械が作っているし機械で作っているのだから、人工性の引き受けという筋がある。本当のリアリズムもないし純粋な人工物もなくて、人工的なリアルがあるだけだし、リアルな人工性があるだけ——なのに流通するときには「これこそがリアル」「あんなのは紛い物でダメだ」という価値判断がなされてしまう。荘子itはそこに信仰の話を接ぐ——映画から受け取るべきものは、映画自体を信仰の対象にすることではなく、何かを信じるというやり方を教えてくれること。人工的なものを本物だと言う、むしろそこに境がないのだと悟る体験を映画から持ち帰る。「映画かどうかとかじゃなくて、そういう新しい形のリアルを本当に信じ直す、熱いなリアルって、という感覚を呼び起こしてくれるもの」。
この項目が出てくる回
関連項目
- サンプリングでジャケを作るジャケットの猿が着ている黒いパーカーは、もともと存在しないものだった。
- 自分で提案するベーシックインカム離婚して逆に生活が整っている、という話から。
- 存在からたまに通知が来る支払いの催促の話から。
- メタのメタなのに着地はベタロジックを辿っていくとメタのメタなのだが、着地しているところは完全にベタ側。
- 35度超えの正解はまだ提案されていない半袖Tシャツと半ズボンをちゃんとおしゃれに着るのはめっちゃ難しい。
- コカ性伊良コーラを飲む荘子itと、コカ・コーラを飲む福尾。
- 二次的ではあるけどメタではない福尾には「メタ」という意識があまりない。
- キモさを通過していないやつが面白くなれるのかリチャード・リンクレイターがゴダールの若き日を描いた『ヌーヴェルヴァーグ』の話から。