2025年6月16日
禁煙、コンサータ、嫌いなもの
広島での公開収録の後の回。天ぷらの話から禁煙の話へ。やめようと思ったら一瞬でやめられた、その感じが逆に怖い。後半は音楽の面白いと思うポイントと、いつでも切れる関係について。
話の流れ
- 0:00広島で公開収録をした先週末に公開収録をやったり、一緒にご飯を食べたり。
- 3:11揚げたてをそのまま出してくるめちゃくちゃ熱いという注意がある。常識のようだが。
- 6:21その都度うまく調整しているとても参考になった。天ぷらを作りたくなったが、片付けが。
- 9:31禁煙外来に行くレベルではなく普通に我慢している。辛くなるほどではない、と言いつつ辛い。
- 12:43やめようと思ったら一瞬でやめられたその時を彩る風化的なものとしか考えていなかったので、結構捨てた。その感じが逆に。
- 13:50『ひとごと』のスモーキングエリア『ひとごと』にも「スモーキングエリア」というエッセイが入っている。
- 1:14:31日本人が絶対買わない値段で買っているDos Monos を聴いてくれている人について思う。ノスタルジー的な。
- 1:17:42音楽の面白いと思うポイントどれとも違う。3つのどれもが大事。
- 1:20:52いつでも切れる関係仲間ではない。本当は一緒に講義をやる予定もあったのかもしれないが、いつでも切れる関係だとそうなってしまう。
- 1:24:03長く見届ける覚悟を決めた方はフォローをXでの感想もいつも嬉しい。
この回で出てきた言葉
- 浅くやっているなら逆に許せる福尾が『ダンサー・イン・ザ・ダーク』を中学高校の頃に見て 「こんなすごい嫌な商売をしているな」と思ったこと—— 悲しさや人間の醜さを使って人の感情をかき乱しているが、それは何のためなのか。
- SNSの人格が固定していくXでの口調がころころ変わるのはなぜか、という話。
- キャッシュクリア広島の打ち上げの会計で福尾が財布をなくしたことに気づいた。
- 曲を作るのはもう癖を作る段階荘子itが「ほとんどミュージシャンが嫌い」と言うときの中身。
- 雑誌の特集になりそうなものを飛び移る**福尾はA24の映画をまだ一本も見たことがない。
- 地獄の黙示録荘子itがコッポラで特に好きな作品。
- 自分の創作を暴力とリンクさせてしまうコッポラについて荘子itが言うこと。
- 小説を書いていても小説は良くならない「嫌いなものは」と訊かれて福尾が挙げたのが小説家だった。
- その通りに書きたいと1ミリも思わない『非美学』が読みにくい、という書評について福尾が言うこと。
- タバコの切れ目が1日の終わり生活時間もぐちゃぐちゃで、毎日決まったところに出勤しているわけでもない。
- タバコを吸わなくて済むようにタバコを吸っている鍼灸師に勧められて読んだ『禁煙セラピー』について。
- 違う意見の仲間を持つその通りに書きたいと1ミリも思わないを受けて荘子itが言う。
- ハート・オブ・ダークネスコッポラの妻が撮った『地獄の黙示録』の制作ドキュメンタリー。
- バラッと集まって全体を成すドゥルーズが英米文学に透かし見ているのは、バラッと集まって、なんとなく全体を成しているという全体性のイメージなのではないか、と福尾は言う。
- フィルモグラフィーとしての連続性リレー走かハンマー投げかを、荘子itが自分の側に引き寄せる。
- 平行処理に対応するガジェットが目の前にあるADHDが一つの時代を象徴する病になっていることについて福尾が言うこと。
- 見せ物小屋の看板だけ外に見せるこの番組をやりたいと思った理由として荘子itが挙げること。
- 無意識的な断捨離福尾が日記で書いていたフロイトの話—— **物をなくすのも、ある種の無意識の意味がある行為なのだ。
- 目的がはっきりしているときだけ効くコンサータについて。
- やめようと思ったら一瞬でやめられた荘子itは21歳でタバコを完全にやめた。
- リトマス試験紙としてのメンバーDos Monos の他のメンバーがあらゆる意味で重要な理由。
- リレー走かハンマー投げか連載を一冊の本にするとき、 普通は「第何回」を「第何章」に置き換える。
この回からの引用
もう半分はやっぱり、我々はタバコを吸わなくて済むようにタバコを吸ってるんだっていうことも書かれてて、それは正しいなって思ったんだよ。
タバコはまずいものだと思い込むことによって禁煙するんじゃなくて、タバコは美味しいし僕の20代はタバコと共にあったっていうことをちゃんとポジティブな思い出として残しつつ、でもタバコはやめる。
もういいかなと思ったら別に一瞬でやめられたから、なんかその感じが逆にわかんないんだよね、やめられないっていうのが。
タバコの切れ目がその1日の終わりっていうか。特に僕生活時間もぐちゃぐちゃだし、毎日決まったところに出勤してるわけでもないから、自分の生活のリズム感を保ってくれるものとして1日1箱のタバコっていうのがあったんだけど。
俺だから意外とそこはなんかなくて。鈍感なのかな、ニコチンが不足していて欲しくなると思って吸ったこと一回もなくて、自分の体を自分が感覚できてない気がするんだよ。
コンサータで事務作業をこなす日、シラフでどっぷり何日も曲を作る日、結構使い分けてるかも。
なんかその目的をはっきり持って、今これに事務作業やるぞみたいな、じゃあコンサータ入れておくといいなみたいな、それが全て合致した時に効果を発揮するみたいな感じがするな。
財布ってキャッシュが溜まってるってことだよね。キャッシュクリア、自分の中のキャッシュが一気に清算された感じがして、なんか気持ちいいみたいな、そういう気持ちだったんだよね。
→ キャッシュクリア
財布もなくしたしタバコもやめるし33になったしゾロ目だしみたいな、次の本もなんとかなりそうだしみたいな、そういうタイミングなんだよね。
→ キャッシュクリア
無意識的な断捨離みたいな。なくしてんじゃなくて、無意識の自分がわざとなくしてるっていうようなことじゃん。
→ 無意識的な断捨離
それが本当かどうかを置いといて、そこに意味を見出すっていうことに、新しい意味を本当に実際に作っていっちゃうっていう。
→ 無意識的な断捨離
その平行処理に対応するようなガジェットが目の前にあっちゃうから、スマホみたいなものが。昔だったらちょっと自分の注意が動いたとしても、それは具体的な行為としてちゃんと外在化されずに済んできたものが、全部もう外在化できちゃうから全部やっちゃう。
コンサータより普通にスマホ断ちをするべきだよね、人類は。
やっぱ日記やめて本が出て告知ばっかりしてる状態っていうのは、かなり削られてたんだなっていうのが、なんか今になって思う。
面白おかしく言葉遊びで告知文とかタイトルとかだけつけて、見せ物小屋の看板だけ外に見せて、中はすごい、ただダラダラ自分の言いたいことを喋ってるだけみたいな。それがめちゃめちゃちょうどいいなと思って。
そもそもずっと同じ口調でSNSの人格が固定していくことがすごいストレスがあるからやってるところもあるんだよね。
全体の流れを例えるときにリレー走なのか、ハンマー投げなのかみたいな。
1回目投げた時のあの踏み込みはちょっと甘かったなとか、リリースのタイミングちょっともうちょっと遅くてもいいなみたいな、そういう部分的なフィードバックが積み重ねられていく。
映画監督のフィルモグラフィーって、振り返ってみればこの時の作品からこの作品に何かが受け継がれたりとか共通しているものがあったりとかもいろいろ言えるけど、言っても一個一個バラバラじゃん。
バラバラな事情で生まれているものが、でもその作家のフィルモグラフィーとして一個繋がっていると言えるみたいな、なんかその感じ。
バラッと集まって、なんとなく全体を成しているみたいなビジョンが多分ドゥルーズが英米文学とかに透かし見ているもので。ドイツっぽい堅牢な感じとか、フランスっぽい流麗さみたいなものとは全く別の全体性のイメージがある。
ゴッドファーザーで当てて金がめちゃめちゃあるっていう状況で大豪邸とかも建てられるぐらいになったんだけど、その資材を全て投げ売って、超巨大な自主制作映画みたいな感じでやってて。
→ 地獄の黙示録
地獄の黙示録とかは、アメリカがベトナムでやってることとかと、自分が映画を作るっていうことをニアリーイコール的にリンクさせながらやっていく。
単にオリバー・ストーンとかみたいにベトナム戦争批判とかをする、それは大事なことなんだけど、とかでもなく、自分のやってる創作とかを一回そことリンクさせて考えてしまうみたいな。
映画っていうのももっと軽くなるべきだって言って、こういう撮影クルーとかが大所帯でいて撮るようなものじゃなくて、超気軽に、映画それまで映画なんかに興味を持てなかったような若者とかが気軽に撮って面白いものを作るようになる、それが理想なんだみたいな。
実は深くないんだみたいな、浅くそういうことやってるなと思うと逆に許せるみたいな。
確かにCreepがその人格の全てを代表していたらめっちゃやだけど、なんか別にCreepだっていい曲じゃんみたいな。One of themのうちの一つとして面白いみたいな。
多分A24、本当見たことないわ。
A24、NewJeansみたいな、なんかそういう雑誌の特集になりそうなものを飛び移っていきながら仕事はしたくないなと思ってるから。
小説を書いてても小説は良くならないんじゃないかなって、僕ずっと思ってるんだよね。
同じ文学とか文芸をやってる人間として、小説家の人に対して、それだけやっていいと本当に思ってるんですかって聞きたい気持ちはあるね。
無限にいい音楽ある状態で、普通にいい感じの音楽作る意味が分かんないっていう感じはあるね。曲を作るって、もうだから癖を作るの段階にもいってると思って。
そこだけを純粋培養したものの方が逆に緊張感がないから、癖ってやっぱ常にまず一本の寸胴があってこそ癖が際立つわけだから、そこの芸な気がするんだよね。
基本的に趣味が合わないんだけど、でも反応してくれた時に、それこそがやっぱりリトマス試験紙になる。
自分がその面白い癖だと思っているものがそもそも伝わるか伝わらないか、伝わった上でそれが面白いかどうかみたいなのを、一番身近な他者として判断材料になる。
あの書評の言う通りに自分が書きたいと1ミリも思わない、それをやって自分が楽しいと思える気がしないっていう感じがして。
そもそも自分がその哲学とか、あるいは文章を書くとかっていうことに託してるものが、彼とは全然違うってことだと思う。
いつでも切れる関係だとそうなっちゃうからさ。
なんかすごい違う意見の仲間を持つのがすごい大事なんだなっていうのはめっちゃ。