描いていないことで本当らしさを出す
かいていないことでほんとうらしさをだす
ブラックボックス展以降のホラー作品について。
番組より
とにかく描いてないことによって、なんか本当のこと、そっちにありますよねみたいな、その周りを描くみたいな作風が多すぎん。
とはいえの先をやると、やっぱ露悪にもなっちゃったりするから、だからやっぱ描くのは無粋みたいな感じで描かない、クレバーな色白のクリエイターが結構いる。
この項目について
描いていないことによって「本当のことはそっちにありますよね」と思わせ、 その周りを描くという作風が多すぎる。 「元は取れたっぽさ」はあるし、よくできているとも思う——とはいえ。 とはいえの先をやると露悪にもなってしまうから、 「描くのは無粋」という顔をして描かない、 クレバーで色白のクリエイターが結構いる。 福尾は同じことをホラー映画のパンフレット原稿で書いたと言う—— 「呪いってあるの? 本当に? これを呪いにするってどういうこと? これを呪いにすることでブラインドされてしまっているものがあるとしたら、 それはどうなの?」とガン詰めした。 ホラーブームの社会的な意味を考えることもできるが、 そもそもホラーである必然性はあるのか、というところまで一回手前に下がって、 フィクションって何のためにあるんだっけ、を考えたい。
この項目が出てくる回
関連項目
- とはいえボタン話が一周して落ち着きかけたところで、どちらかが「とはいえ」と言い出してしまう。
- 示すのが批評だ前回の「三宅香帆は批評になっていない」というマジギレの話から。
- 学べ、そして忘れろマイルス・デイヴィスの名言として荘子itが出す。
- パーソナリティが芸術であるポッドキャストは作品なのか、喋っている人はクリエイターなのか、という線引きの話から。
- 出会った瞬間のひらめきしか保存できない**Tracklib や Splice のような、 何をサンプリングしてもいい合法のサンプリングサイトがある。
- 将来自分の本に入れられる仕事福尾が仕事を選ぶ基準。
- 下心が追いつかなくなる公開する日記はセルフブランディングでもある。
- 日記本が短くて薄い日記ブームに対して福尾が気になっていること—— **世に流通している日記本は、なんか短いし薄い。