文化の盗用はゼロにできない
ぶんかのとうようはぜろにできない
アプロプリエーションという語自体はネガティブでもポジティブでもなく、 どこかから持ってきて使うということなのに、 日本語の「盗用」には盗むというネガティブな語が入っている—— その含意のすれ違いもある、と福尾は言う。
番組より
文化の盗用性っていうのはゼロにできないというふうに思うしかないと思うんだよね。
それ全部ダメって言ったら何もできなくなっちゃうから、そこら辺のめっちゃ現実的な線引きの問題だと思うんだよね。
この項目について
日本でタラコスパゲティを作るのもアプロプリエーションで、 それを全部ダメと言ったら何もできなくなる。 大上段に「よしよし」と言える問題ではなく、現実的な線引きの問題。 荘子itは「文化の盗用性はゼロにできないと思うしかない」と受ける—— 開き直らずに意識する。 ルーツを学ぶ姿勢を持ちながら、それでも自分のやりたいことをやる。 批判されたら、その都度頑張って考えて勉強すればいい。 開き直りも良くないし、 「文化の盗用はいけない」に固執するのも良くない。
この項目が出てくる回
関連項目
- 修行してから世に出ようとするな福尾がフィロシャピーのエッセイ講座でよく言うこと。
- 通念のフィルターに自分を通す変な操作内向的か外向的か、という世に言う通念——常識のようなもの——があって、それに一度自分を通してみて、どちらになるかを見る。
- 質問で最後に大きく転ぶ仕込みかと思うくらい、質問によって話が最後に大きく転んで大テーマにたどり着くことが結構ある。
- 反か脱か非か、その次に異現代思想系の人がよく言うこと——破壊ではなく脱構築だとか、反戦ではなく非戦だとか(それは坂本龍一だが)。
- そこからその結論が出てくるのか福尾が荘子itについて言うこと—— **一個一個の言っていることはすごくよく分かるし共感する部分も多いのに、 次の一歩がどこに行くかが常に分からない。
- 自認は自分にしか分からないはず「自認レゼ」のように、他人の自認を勝手に当て込んで言う—— それは言うまでもなく失礼だし、めっちゃ変な気がする、と福尾は言う。
- ADHDの身体をプレイしている2〜3時間かける詳しい検査を受けて診断が下りている。
- 嫉妬は他人に貼り付けられる私的言語「令和人文主義への批判は結局は嫉妬なのでは」というリスナーの問いに答えて。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
- 言語化しようとしていないoieiai・頭が悪いのか何なのか分からないけれど、 自分の人生をそんなに言語化しようとしていない、と没は言う。
- 1984年は日記の本当のヤバさに届いていないoieiai・オーウェル『1984年』では**日記を書くことが禁止されている。
- 淡々と人が喋っているのを聞いていたいieiai・コテンラジオやゆる言語学ラジオのような教養コンテンツが来ているのは、教養の復権という話ではなく、ある程度長い、変な高低のないコミュニケーションをずっと聞いていられるということでしかない気がする、と福尾。
- 映画音楽は一切サンプリングしていないieiai・映画音楽っぽい、映画っぽいと言ってくる人が多い。