普遍を論じることと、いろんなものを論じること
ふへんをろんじることといろんなものをろんじること
哲学は普遍的なものを語る学問だと思われている。
番組より
でも普遍って概念を論じることと本当にいろんなものを論じることって全然違うはずで、普通の哲学は普遍を論じはするんだけど、その具体的な普遍を構成するはずのいろんなものについては論じないみたいな。
普通に言われてる知性のあり方って、すごい上から言ってるようでいて全然何もやってなくねみたいな話をしていくっていうか。
この項目について
だが普遍という概念を論じることと、本当にいろんなものを論じることは全然違う—— 普通の哲学は普遍を論じはするが、 その具体的な普遍を構成するはずのいろんなものについては論じない。 『千のプラトー』はその真逆で、いろんなものをぐちゃぐちゃ論じておいて、 普遍という概念そのものには触れない。 それは普遍を論じたことにすることで哲学が権威づけられる、 ということ自体へのカウンターだ、と福尾は言う。 荘子itは「普通に言われている知性のあり方は、 すごく上から言っているようでいて全然何もやってなくない?」と受ける。
この項目が出てくる回
関連項目
- 自律神経という救い呪いを解くのはめちゃくちゃ難しい、という話から福尾が出す例。
- どうやって人は呪いを解くのか過去に人に言ったことが継承されて、呪いを背負ってしまう。
- 別の形で与えるんだ自分が BUMP OF CHICKEN から受けたような感動を、 別の形で誰かに与えるんだ—— ライブが始まる前に、勝手にそうなっていくのだという感覚があった。
- 哲学で全部に触るドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー』について福尾が言うこと。
- 全パネルの色が違うルービックキューブ『千のプラトー』の読み方について、福尾が講座の概要文で使った喩え。
- どのレイヤーにも本当の話はない誕生日にミルクレープを食べているだけなのに、 なぜこんなにエクスキューズをしなければいけないのか—— という流れで荘子itが自分について言うこと。
- 天空と空中と地上荘子itによる音楽の三分法。
- 中心にある音楽がかっこいいDos Monos はこの番組も含めて周辺のいろんなことが盛り上がっている—— ジェロニモや岩崎のような文化圏がすでに出来上がっている。