本当の複雑さと読みやすさは違う
ほんとうのふくざつさとよみやすさはちがう
『置き配的』について。
番組より
本当の複雑さと読みやすさは意外と違う。
ちゃんとしてるところよりも後半の結構変なこと言ってるところの方が、意外とすんなり面白く読めるみたいな。
この項目について
話の構造だけで言えば、柄谷行人が出てくる回より 村上春樹の短編を扱った第10回のほうが複雑なのに、 柄谷と東浩紀の対比というシンプルな論理構造の回のほうが読みにくくなる。 中で起きていることの本当の複雑さと、読みやすさは意外と違う。 福尾自身にとっても発見だった、と言う。 冒頭のフードコートの話のような入り口さえ作っておけば、 複雑な内容でも読めるものになる。 荘子itはこれを真ん中から書き始めるの実例として受ける—— ちゃんとしているところより、後半の変なことを言っているところのほうが すんなり面白く読める。
この項目が出てくる回
関連項目
- 作品そのものが批評として立ち上がるリスナーからの問い——単に状況を映すだけでなく、その状況そのものをえぐり出してしまう力を作品が持つのではないか。
- 分かってる勢になりたくない仕上がったリスナー、常連客のようになってしまう危険性がある——ということを早めに言っておくぞ、という話から。
- 置きに行ってるぞ、と気づく文章を書く覚悟について訊かれて福尾が答えること。
- モノリンガルラップの豊かさバイリンガルのラップは面白いが、 **バイリンガルが二人いる中に一人モノリンガルがいると、 それはそれで独特な個性に見えてくる。
- こんなはずじゃなかった『Dos Monos』は月のアルバムとして、 伊藤潤二のジャケットのイメージ——幽玄でほの暗く妖艶な感じ——を 先に固めてからビートを作った。
- ポッと出たものが一番いいDos Monos の作品では、最後の最後にやっつけでできた曲が いちばんアンセムになるということが続いている—— 前作は「リーマリン」、今回は「リアリーフリー」。
- 親が増える結婚して一番びっくりしたことを福尾が語る。
- 1対1の関係を超えるつもりがあるか結婚をどう考えるか、年の離れたパートナーをどう考えるか—— その二つに共通するのは、今の1対1の関係を超えるつもりがあるかどうかだ、 と福尾は整理する。