潜って書く
もぐってかく
誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。
番組より
潜ってたまに息継ぎして出てくるけど、基本潜ってますみたいなタイプだと思うんですけど、出てきた時は助けてくれ。
この項目について
「潜っているところを見てくれ」というタイプ。福尾は「基本潜っていて、たまに息継ぎに出てくる。出てきたときは『助けてくれ』」と自分を説明する。困ったときにだけ読者に呼びかけるのが、実は連載の書き出しなどで助かるやり方でもある。書いているときのモードは「シラフ」で、ハイテンションの文章はどう書いていいか分からない。読者は目の前にいないので、向かっているのは読者というより自分が考えている問題や批評対象の作品であって、そことのやりとりが文章になり、結果として読者に届くのは後の話。三宅は「常に潜って書くとしたら日記でという感じになる」と応じ、逆に「人がいないPCの前や本を読んでいるときが一番元気で、人と会うと下がる」と言う。
この項目が出てくる回
関連項目
- 疎密言うべきことで満たされた空間と、言うべきことがまばらな状態とを、単なる程度の差ではなく概念として分けるための対で、詰まっているほうが密、まばらなほうが疎。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、誰も一発では納得しない定義から始まる。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけという側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、尊敬しているように見える。
- ハート・ロッカー論争宇多丸が『ハート・ロッカー』を「War is a drug、戦争というスリル中毒で何度も戦地に帰ってしまう映画だ」と論じたのに対し、町山智浩が「それは間違っている、最後はドラッグ中毒ではなく仲間のために戦地に戻る話になっているんだ」とキレた
- 町山智浩菊地成孔と喧嘩してもその後も同じ場に出ている例として挙げられる。
- 濱口竜介演技論の本を出している人として、まだメソッド化できていない自分と対比される。