難しいと怖いは関係ない
むずかしいとこわいはかんけいない
哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
だが「難しい」が「怖い」という気持ちに変わってしまう人がとても多い。 難しいと怖い、難しいと偉そうは、本当は直接関係ないはずなのに。 福尾にとっては、難しい仕事をすることと、日記を書いたりポッドキャストで喋ったりすることは 完全に同じことで、「難しいものを分かりやすく噛み砕いて解説してあげますよ」 というだけではない、難しいものにダイレクトに出会ってもらう回路も必要だと考える。 荘子itはこれを「難しいから偉いと居直るのでもなく、難しさが快楽にもつながるという 側面をやろうとしている人」と要約し、自分も音楽でそれをやっている自覚があるから 一番共鳴できた、と言う。
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関連項目
- 疎密『置き配的』の中心にある対で、密がノイジーマイノリティ、疎がサイレントマジョリティを指す。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、 誰も一発では納得しない定義から始まる。
- 潜って書く誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは 考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけ という側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、 尊敬しているように見える。
- 町山智浩菊地成孔と喧嘩してもその後も同じ場に出ている例として挙げられる。
- 濱口竜介演技論の本を出している人として、まだメソッド化できていない自分と対比される。
- 三宅香帆「本好きの壁」を越えた人。