2026年1月19日
批評最高会議【ゲスト:三宅香帆】
番組初のゲスト回。文芸評論家・三宅香帆を迎えて、 福尾が「同じ年に本を出して嫉妬した」という告白から始まり、 挑発的な定義と最大公約数的な定義、潜って書くことと語りかけて書くこと、 そして「考察されて嬉しい作者はいない」という話まで。
話の流れ
- 1:00嫉妬から始まった1年『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』のヒットに悔しさもあったが、1年ずっと全部やり続けているのを見て、リスペクトとセルフリスペクトが同時に生まれた。
- 4:00喋りと書きのモードが違う批評家や哲学の人は本人の喋りと書くものがそんなに違わないのに、福尾はそこのモードが違うのが面白い、と三宅は言う。
- 5:00難しいと怖いは関係ない哲学は難しく書かなければいけない側面がある。だが難しいと怖い、難しいと偉そうは本来直接は関係ない。噛み砕いて解説するだけでなく、難しいものにダイレクトに出会ってもらう回路もいる。
- 11:40置き配的な本置いてきてどう伝わるかまだ未規定である、という点で、この本自体が置き配的でもある。批判的に論じつつ、その時代の病に自分も直面している。
- 12:00挑発的な定義と最大公約数的な定義「批評とは最も自由な散文である」と誰も納得しない定義から始める福尾に対し、「考察には正解があり批評には正解がない」とみんなが確かにと思える定義から始める三宅。
- 13:50誰に向けて書くか福尾は自分みたいな人に向けて書いてしまう。三宅は人に見せない日記を毎日書いていて、本やnoteは常に誰かに伝えたいから書く。
- 16:40潜って書く基本は潜っていて、たまに息継ぎに出てきたときに「助けてくれ」と読者に呼びかける。書くときは静かに考えているくらいのモードが一番心地いい。
- 20:40人がいないと元気三宅は逆に、人がいると合わせてしまうので、PCの前や本を読んでいるときが一番元気で、人と会うと下がる。
- 22:00批評は批評でダメになった考察が出てきたから批評が元気をなくしたのではない。むしろ「偉そうにするパフォーマンス」がかっこいいと思われなくなった、観客の側の移動ではないか。
- 23:20映画の勉強会濱口竜介・三宅唱・三浦哲哉。「今日は面白さが分からないまま来ました、お手上げです」と言えることのすごさ。正解は一つではないが、正解の形を愚直に探っていく。
- 31:40考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするから一見作者を尊敬しているように見えるが、「意図を汲み取ってくださってありがとう」と思う作者はあまりいない。
- 32:10過剰考察ドロピザは正解が当たっているかどうかすらどうでもよく、論証に使われる素材の多さに圧倒されるエンタメになっている。令和ロマンの過剰考察も。
この回で出てきた言葉
- 映画の勉強会副題は演出について。
- 考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、 尊敬しているように見える。
- 自称・歌王三宅香帆の自己紹介。
- 疎密『置き配的』の中心にある対で、密がノイジーマイノリティ、疎がサイレントマジョリティを指す。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、 誰も一発では納得しない定義から始まる。
- なぜ働いていると本が読めなくなるのか新書大賞を受賞した大ヒット作。
- ハート・ロッカー論争宇多丸が『ハート・ロッカー』を「War is a drug、戦争というスリル中毒で 何度も戦地に帰ってしまう映画だ」と論じたのに対し、町山智浩が 「それは間違っている、最後はドラッグ中毒ではなく仲間のために戦地に戻る話に なっているんだ」と
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは 考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけ という側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 三宅唱Dos Monosのデビュー当時(2019年頃)にMVを撮ってもらった。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 潜って書く誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。
この回で触れられた項目
この回からの引用
疎密で言うとね。疎側であるとかね。ありそうですもんね。
→ 疎密
最大公約数的な、みんなここから始めましょうっていう合意を取って始めるってことと、でもそれでいろんなものを挑発していくってことが同時になされてるのがすごいなと思って。
潜ってたまに息継ぎして出てくるけど、基本潜ってますみたいなタイプだと思うんですけど、出てきた時は助けてくれ。
→ 潜って書く