濱口竜介映画監督
はまぐちりゅうすけ
演技論の本を出している人として、まだメソッド化できていない自分と対比される。
2026年1月19日の回
蓮實重彦の直系の黒沢清のさらに直系にあたる映画監督で、映画批評も面白い。 現場で今の映画をやっている人が、全然偉そうでなく批評的に作品を丹念に読み込むのが めちゃくちゃ面白い、と荘子itは言う。三宅唱・三浦哲哉との 7年ほどの勉強会が『映画の勉強会』になった。
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関連項目
- 生き様2.0福尾がXで言い出した、まだ実態のわからない概念。
- 自伝と日記自伝は老境に差しかかった半分死んでいる立ち位置から自分の人生を全体化して書く。
- 3対3対1000ワンマンライブの配置。
- これでしかないフォーメーションシンメトリーでも黄金比でもなく、すごくバラバラなのに「これでしかない」というバランスが 舞台上に成立する瞬間。
- 練習という概念がないゴダールは、映画監督には音楽家やスポーツ選手のような練習の概念がないのが問題だと言った。
- 自由は動詞である東浩紀の訂正可能性のパロディ。
- 全部がテロリズムになる日本の公共空間では、ハプニング的なパフォーマンスがギリギリ共存する感覚がなく、 みんながスマホを見てじっとしているか、地下鉄サリン事件のようなものが起きるかの両極になる。
- 破壊し尽くさない不謹慎さ『北国の帝王』が良いのは無賃乗車がOKだからではなく、鬼のような車掌がぶち殺すところまで含めていいから。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
この項目に言及している項目
- 映画の勉強会副題は演出について。
- 考察されて嬉しい作者はいない考察は作者の意図を当てようとするので、一見すると作者を大事にしている、 尊敬しているように見える。
- 自称・歌王三宅香帆の自己紹介。
- 疎密『置き配的』の中心にある対で、密がノイジーマイノリティ、疎がサイレントマジョリティを指す。
- 挑発的な定義と最大公約数的な定義福尾の『非美学』は「批評とは最も自由な散文である」という、 誰も一発では納得しない定義から始まる。
- なぜ働いていると本が読めなくなるのか新書大賞を受賞した大ヒット作。
- ハート・ロッカー論争宇多丸が『ハート・ロッカー』を「War is a drug、戦争というスリル中毒で 何度も戦地に帰ってしまう映画だ」と論じたのに対し、町山智浩が 「それは間違っている、最後はドラッグ中毒ではなく仲間のために戦地に戻る話に なっているんだ」と
- 批評は批評でダメになった批評の時代から考察の時代になっている気はするが、批評が元気をなくしたのは 考察が出てきたからではなく、単純に批評は批評で元気がなくなっていっただけ という側面もあるのではないか、と福尾は問う。
- 三宅唱Dos Monosのデビュー当時(2019年頃)にMVを撮ってもらった。
- 難しいと怖いは関係ない哲学は難しい学問だし、難しく書かなければいけない側面もある。
- 潜って書く誰かに向けて書いてはいるが、書き方としては語りかけない。