芸術の使われ方は三つしかなかった
げいじゅつのつかわれかたはみっつしかなかった
アラン・バディウによれば、芸術はだいたい三つの使われ方をされてきた。
番組より
本当は4つ目を考えなきゃいけないんだけど、4つ目って何なんだろうねみたいなことをバディウが言ってて。
本当にその3つはさ、全部違うことに見えてさ、今ある現実をこう、なんていうか改めて提示し直しているというか、確認しているに過ぎない気がするんだよね。
この項目について
道徳的なもの——ギリシャ悲劇のように、こういうことをやったら罰が当たると教えるツール。ロマン主義的な天才崇拝——凡人には到達できない美や無限を芸術家だけが宿すことができる、というもの。セラピー的なもの——泣ける映画を見て涙を流してさっぱりする。大体この三つしかなかったので、本当は四つ目を考えなきゃいけないんだけど、四つ目って何なんだろうね、とバディウは言う。荘子itは「それは交換様式D的なことでしょ」と受け、福尾は自分の非美学を交換様式Dに対するFのようなものとして置き直す。三つはどれも違うことに見えて、今ある現実を確認し、世界の手触りを強固にしている点で同じだ、というのが荘子itの見立て。
この項目が出てくる回
関連項目
- それぞれに知性があって上下の差はないユートピア的に聞こえるかもしれないけれど、と断って荘子itが言う。
- 頭の中だけで完結させない普通に考える、会議をする、というのとは全然別の仕方で生物は存在できる——クラゲや微生物は、思うとかではない形で生きている、と荘子itは言う。
- リレーされることまで含めて芸術社会的な意味の全くないものにすごくこだわりを持って、そこの差異を美的に判断できるようになっている——それが結構人間の、というところから。
- ツイッターではありえない景色2025年7月の参院選の夜、東浩紀は9時間の選挙特番をやった。
- 組織を作ることも考えることのうち東浩紀の近年の仕事のうち福尾が一番好きなのは『ゲンロン戦記』だという。
- その場にチューンナップされて発話される東浩紀の一人語りは、言っていること自体はいつも素晴らしいけれど、毎回同じことを言っているとも思うので最近は見ていなかった、と荘子it。
- 戦争に参加した哲学者は戦争を論じない人はやばい状況になったり危機に陥ったときにしか思考していない、という話から、福尾が小泉義之『兵士デカルト』を引く。
- 理論はインプットとアウトプットのブリッジ前回の「批評とは何か」の続きとして、昨日の日記にたった今書いたばかりの話、と福尾が持ち出す。