そっちにも心はあった
そっちにもこころはあった
黒沢清の時代劇について。
番組より
でもそっちにも心はあったっていうか、そっちは未開人で、なんか近代化が足りてないから心がなかったって話じゃなくて、やっぱり俺らが思う心的なもの、魂的なものかわかんないけど、あったよなっていう風に思える。
この項目について
黒沢清が辿れるのはたかだか1900年代の時代劇の様式なのだけれど、1900年代に初めて時代劇を撮った人たちが引き継いだ1800年代の記憶にまで引き継いでいけば、本当に武士たちの時代に戻れるかもしれない——密教的だけれど、そういう感じが黒沢清には結構ある。恥をかくくらいなら死ぬ、打首ではなく切腹させてくれ、という今からはまったく想像できないリアリティも、映画の様式が厳格であることを通してメタ的に理解できる。濱口竜介の映画が描く「今の人が心だと思いたいもの」には現代性があって今も乗れる。でも織田信長に対立して籠城していた武士たちの心とは何だったのか——そっちは未開人で近代化が足りていないから心がなかった、という話ではなく、俺らが思う心的なもの、魂的なものがあったよな、と思える。その意味で射程の広い映画だ、と荘子it。
この項目が出てくる回
関連項目
- 地元の最高の先輩濱口竜介について荘子itが言うこと。
- 恥をかかせないための作法黒沢清の時代劇の、いつでも白黒フィルムに繋げられるような厳格な様式について。
- きついと思うかどうかはお前次第村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』に出てくる格言——Pain is inevitable but suffering is optional。
- 店員と全く交わらずに楽しいモバイルオーダー問題、タッチパネル問題として嘆かれることについて、福尾は機械化自体は全然嫌ではないと言う。
- これが奇跡ですよと指ささない『急に具合が悪くなる』はギヨーム・ブラックが撮影監督で、スタンダードとワイドの中間くらいの画面サイズで、さり気ないのにビシッと来る。
- 現象学が嫌いケア的な文脈のコンテンツに心理的な負荷を感じる、という話を荘子itが「人によるよね」で回収しようとしたら、福尾から「現象学が嫌いなんだよな」という「マジでこいつしか言わないタイプの理由」が返ってきた場面。
- 過保護になることでタフネスが抜け落ちる福尾が書いた『カホ』の書評について。
- 一度英語を通過した語彙村上春樹の面白さの源として福尾が挙げるもの。