音楽に啓蒙はいらない
おんがくにけいもうはいらない
そもそも音楽が好きじゃない人に「音楽って素晴らしいんですよ」と言ってもしょうがない、と福尾。
番組より
「哲学は啓蒙が大事」って言いやすいけど、音楽は別に言わなくていいじゃん。その違いだと思うよ。
これを好きになることによって別のものが好きになれるみたいな、そういう連鎖みたいな、チェーンリアクション的なもので自分の世界が広がっていくっていうことは音楽でできると思うんだけど。
この項目について
あんまり使いたくない言葉だけど、と断って「哲学は啓蒙が大事と言いやすいけれど、音楽は別に言わなくていい」。啓蒙意識があるのは年齢もあって、20代の頃は全くなかっただろうとも言う。荘子itはDos Monosの音楽を聴いて「もっと全然やっていい、限界がない」と伝えたい気持ちはあるかもしれない、と応じる。福尾によれば音楽で起こるのはそれとは違って、これを好きになることで別のものが好きになれるというチェーンリアクションで自分の世界が広がっていくこと。それは啓蒙ではない。
この項目が出てくる回
関連項目
- それぞれに知性があって上下の差はないユートピア的に聞こえるかもしれないけれど、と断って荘子itが言う。
- 頭の中だけで完結させない普通に考える、会議をする、というのとは全然別の仕方で生物は存在できる——クラゲや微生物は、思うとかではない形で生きている、と荘子itは言う。
- リレーされることまで含めて芸術社会的な意味の全くないものにすごくこだわりを持って、そこの差異を美的に判断できるようになっている——それが結構人間の、というところから。
- ツイッターではありえない景色2025年7月の参院選の夜、東浩紀は9時間の選挙特番をやった。
- 組織を作ることも考えることのうち東浩紀の近年の仕事のうち福尾が一番好きなのは『ゲンロン戦記』だという。
- その場にチューンナップされて発話される東浩紀の一人語りは、言っていること自体はいつも素晴らしいけれど、毎回同じことを言っているとも思うので最近は見ていなかった、と荘子it。
- 戦争に参加した哲学者は戦争を論じない人はやばい状況になったり危機に陥ったときにしか思考していない、という話から、福尾が小泉義之『兵士デカルト』を引く。
- 理論はインプットとアウトプットのブリッジ前回の「批評とは何か」の続きとして、昨日の日記にたった今書いたばかりの話、と福尾が持ち出す。