2025年9月29日
『8番出口』みた
荘子itが映画『8番出口』を絶賛する回。ゲームの画面とキューブリック『シャイニング』が 相似形であることの「発見」と、オタク趣味の詰め込みとの違い。 後半は三宅香帆をめぐって「本好きの壁」の話へ。
話の流れ
- 0:12何の予備知識もなく観たゲーム原作であることも知らずに観て、めちゃくちゃ面白かった。「久しぶりに食らった」。
- 1:40ループとモラトリアム原作ゲームにはストーリーがない。映画は『うる星やつら ビューティフル・ドリーマー』の系譜にループを接続した。文化祭前日を繰り返すモラトリアムと、その先に待つ生殖と人生のフェーズの変化。
- 3:20サンプリング的に作るゼロから組み合わせるのではなく、原作ゲームをうまく改編して映画に仕立てる。トラックメイク的、ありもので作る手つき。川村元気のプロデューサー的なレファレンスの駆使。
- 8:00出た先も結局ループ惑星ソラリスやインセプションのように「出られたのか」をぼかすのではなく、出たは出たが、その先の人生だってループではないか、という現実への批評になっている。
- 10:00完全なる首長竜の日福尾は黒沢清のなかで一番好きなくらい好き。荘子itは学生時代シネフィルだったので「これでいいのか」と思った。青山真治が最高傑作と呼んでいて驚いた。
- 15:00映画映画してるものはつまらないチェンソーマンのアニメは映画のリファレンスに寄せすぎた。愚直に「いい感じの映画」に映像化するとつまらなくなる。
- 18:00発見であって作為ではないゲームの画面とキューブリックが相似形であることを発見して愚直にやると面白い。チェンソーマンのオープニングのように好きなものをパロディで詰め込むのとは違う。目配せではない。
- 20:50カードゲームみたいな批評つまらない批評は「ここでこの名前を出す」というカードゲームになる。それをいかに抜け出すかがアマチュアリズムからの脱却。
- 21:50立ち上げ恐怖症前回話したことで、口に出したら相対化できて楽になった。『8番出口』は何も立ち上がらないところから始まるので立ち上げ恐怖症にいい。
- 26:00本好きの壁本屋大賞的な「読書好き」に受けるものと、人文批評的に受けるものには微妙な棲み分けがずっとある。三宅香帆はその壁を越えた。
- 29:20ニーズとしての潜在性批評はまだ気づかれていない潜在的なものを取り出して構造化する。三宅香帆はそれを「ニーズ」として取り出したのが新しい。
- 35:00デビュー作でいきなり炎上した24、25歳のとき建築批評メディアに書いた書評で「実務が分かっていないのに偉そうなことを言うな」と叩かれ、芸大の教授から「お前が建築に貢献することは今後一生一ミリもない」と言われた。
- 36:241ミリぐらいは貢献したその1年後に『眼がスクリーンになるとき』が出たら、同じ東京藝大の別の教授が自分の個展で資料として展示してくれていた。そういうことの連続だと思う。
- 38:43強い解釈を持っている人の話が面白い細部を見れば解釈を超えるものが出てくる、というのが批評のセオリー。だが実際には、ベタで愚直な世俗的イメージのほうで語っている人の話が面白かったりする。
- 40:06話が面白いというスケールで切り出す「批評の書き方」ではなく「話が面白い」という、みんながなりたいもののほうから入り口を作る。それがつまり批評するということだ、といつの間にか乗せていく。
- 41:18前半だけで配信してみる8番出口に興味がある人が単純に聴くという狙い。いつも聴いている人の外に届く可能性があるので、実験的に40分で切り出してみる。
この回で出てきた言葉
- 一生一ミリも貢献しない福尾がお金をもらって書いた最初の文章は、建築批評のウェブメディア 「10+1」でのヴェネツィア・ビエンナーレ日本館カタログの書評だった。
- うる星やつら ビューティフル・ドリーマー文化祭前日を繰り返すループもの。
- カードゲームみたいな批評つまらない批評は「ここでこの名前を出す」というカードゲームになってしまう。
- 川村元気『8番出口』の監督。
- 完全なる首長竜の日福尾は黒沢清のなかで一番好きなくらい好きで「アホらしさ」「愚直さ」がいいと言う。
- 立ち上げ恐怖症前の回で話題になった福尾の症状。
- 立ち上げ恐怖症映画やゲームを立ち上げることができない、という福尾の症状に名前がついたもの。
- 強い解釈を持っている人の話が面白い批評好きのあいだには「テクストをちゃんと読もう」「解釈や一般的なイメージに逃げず、 細部を見れば解釈を超えるものが出てくる」というセオリーがある。
- 8番出口ゲーム原作。
- 発見であって作為ではない『8番出口』が面白いのは、ゲームの画面とキューブリック『シャイニング』という 遠いと思われているものの相似形を「発見」して、それをそのまま愚直にやっているから。
- 藤本タツキ米津玄師との対談動画で、レゼは「女の子の好きな要素だけを詰め込んだ」と本人が言っていた。
- 本好きの壁福尾が勝手にそう呼んでいる現象。
- 三宅香帆「本好きの壁」を越えた人。
この回からの引用
川村元気はある意味何も生み出さずに、作為なく発見だけでやってるっていうか。ゲームの画面とキューブリックが相似形であるっていうことを発見して、それをそのまま愚直にやると、それはめちゃめちゃ面白い。
つまらない批評ってカードゲームみたいな、ここでこの名前を出すみたいな、そうなっちゃうんだよね。それをいかに抜け出すかみたいなのが、ある種アマチュアリズムからの脱却みたいなことだと思うんだけど。
プロフィールに読書好きって書くような人たちは、批評とか学問的なものに対してちょっと敬遠してる感じもあるし、こっちはこっちで本屋大賞的なものに対してちょっとメタな見方をしちゃうっていうか。
→ 本好きの壁
本好きと批評好きと、シネフィルと映画オタクが全然美学が異なってくる。みんながおしゃれだと思ってるものを本当の音楽好きが嫌いみたいな、あの構造。もうちょっとその間が面白いんだよな。