2025年12月15日
団地に行ってきた
TaiTanたちの10時間トークライブに二人で出た翌日の回。 哲学者が客席から呼ばれて壇上に上がり、YouTuberと並んで話す「階級がバグる」場について。 そして状況論につきまとう根本的な問題——ふわっとしたトレンドの話ではなく 「痛みの強度」やハードなファクトのほうではないか。
話の流れ
- 0:2810時間トークライブTaiTanのチャンネルの忘年会イベント。最後の3時間半に荘子itが出て、客席にいた福尾も途中で壇上に上げられた。100人以上が最後まで残っていた。
- 3:10オンの荘子it福尾が生で「オン」の荘子itを見たのは初めてに近い。この番組をホームグラウンドとしてゆるくやれている安心感があるから、よそでも衒いなくできる。
- 9:20古典と現代思想のスタイルウォーズ福尾がドゥルーズや現代思想に依拠するのに対し、魚豊はアリストテレスやカントに依拠する。その中間にいる荘子itは荘子に依拠しつつ運命論的なものも信じる。
- 13:00哲学者を見たことがありますか「皆さんこちらが哲学者です、本物見たことありますか」という紹介の仕方。1903年の人類館事件を題材にした演劇の話へ。階級がバグるのが哲学の面白いところ。
- 16:00状況論につきまとう問題ふわっとしたトレンドAとBを見比べると方向性Cが見えてくる、という話が続くと「何なんだろうこれ」と思ってしまう。エビデンスではなく手触りのある具体性が欲しい。
- 19:00痛みの強度データの解釈が多様だという議論をいくらやってもしょうがない。三宅香帆の本は究極的には本人の痛みの問題でしかない。「令和人文主義は正社員様の哲学」と揶揄されても、それは正社員の痛みなのだからそうだろう。
- 22:40ラッセン本問題のその後小説家側から「全く参照していない」という声明が出た。片方に触れた以上もう片方に触れないのはフェアではない、と荘子itは言う。真実は藪の中。
- 28:00関係の絶対性と風景論佐々木友輔の連載。大島渚の世代では現実と虚構が分かれていたが、郊外化が進んだ後の世代にとっては虚構に上書きされた風景こそが原風景になっている。
- 34:00一人で答えを完結させることクリエイターであり経営者でもあることは人間的な成長でもあるが、一人で全部の答えを用意しようとする問題がある。庵野秀明と東浩紀は似ている。
- 38:00最適化されないペルソナ恥を晒すのがいいと言っても、それが最適化された恥ならパフォーマンスにすぎない。「本当の自分」とプラットフォームの欲望が悪魔合体したものではなく、本当にずれていく人間性のほうへ。
- 39:40愚直にやるだけで差がつく99%が状況へのリアクションに終始しているから、自分の好奇心と実験精神を追求しているだけで目立てる。楽といえばめちゃくちゃ楽な時代。
この回で出てきた言葉
- アスファルト手持ちカメラで東日本大震災の被災地の近くの街をずっと歩いているだけの映像作品。
- 痛みの強度データの扱いがおかしい/解釈が多様だ、という応酬をいくらやってもしょうがない。
- 虚構に上書きされた風景が原風景佐々木友輔の風景論の連載を荘子itが読んで。
- 愚直にやるだけで差がつく時代いまはほぼ99%が状況に対するリアクションと人間関係の話に終始しているから、 愚直に自分の好奇心と実験精神だけを追求しているだけで差をつけられる。
- 最適化されない恥著者やクリエイター自身がSNSや喋りの場で人格を出していくこと自体は 粛々とやったほうがいいこと(D2C的に一番理にかなってもいる)。
- 佐々木友輔風景論の連載で庵野秀明と大島渚を論じ、吉本隆明の「関係の絶対性」を扱っている。
- 状況論につきまとう根本的な問題「推し活が今こうなっていて」というような話をしながら、 福尾はいつも「これって本当なのかな」と思っている。
- 皆さんこちらが哲学者です荘子itが福尾を客席から壇上に上げるときの紹介の仕方。
- 藪の中問題とトレパク問題2025年に相次いだ「パクり」をめぐる騒動の整理。
この回で触れられた項目
この回からの引用
なんかふわっとした事実みたいな、でもなんかハードなファクトっていうか。エビデンスが欲しいとかそういう話じゃなくて、もうちょっと手触りのある、データじゃなくていいんだけど、具体性が欲しいなって思っちゃうんだよね。
これが本当の自分みたいな、本当に思ってたことみたいなのと、プラットフォームが欲望してるこうであってほしいみたいなものと悪魔合体した、なんちゃって本当の自分みたいなものではなくて、本当にずれていく人間性みたいなもの。
→ 最適化されない恥