考察したがる若者たち書籍
こうさつしたがるわかものたち
なぜ考察が流行ったのか。
みんな自分の意見の価値を信じられないから、 作品の正解を探る。考察系YouTuberが一つの批評家のようになることもある、 とも書かれている。
2026年1月19日の回
「考察には正解があり、批評には正解がない」という、みんなが「確かに」と思える定義から 始まる。ハイスピードでとんでもない量の作品を扱い、それぞれに意味づけを行って論じる—— 型としては考察に近いことを取り入れながら、考察という時代の山に登っていく。 考察文化を批判的に論じつつ、書き方自体はその文化と地続きである点で、 福尾の『置き配的』と構造が似ている、と荘子itは指摘する。
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関連項目
- 三宅香帆「本好きの壁」を越えた人。
- 言語化と対比すべきはお気持ち「言語化」という言葉は、人を褒めるか自分をけなすかのどちらかでしか使われない (「言語化能力は私にはあります」と言う人はいない)。
- 言葉にすることが考えることだ「言語化」という枠組みでは、まず内面に気持ちがあって、それを言葉に変換する、 という順序が前提になる。
- 聖なる価値柳澤田実の連載「ポップカルチャーと聖なる価値」のキーワード。
- 私たち性の不在柳澤田実が「デサイロ」で荘子itと組んだときのテーマ。
- 考察と批評三宅香帆『考察したがる若者たち』を受けて。
- 出口ではなく糸口「この状況は閉じている」と言った直後に「でも私はそこから出ています」と 続けてしまう身振り——哲学がやりがちなこと。
- もっと手前にある何か福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。