私たち性の不在
わたしたちせいのふざい
柳澤田実が「デサイロ」で荘子itと組んだときのテーマ。
いまの時代、国民国家的な「私たち」という共同感覚がなくなっている。しかも西洋の私たち性と日本の私たち性はまた違う。では日本人はどうやったら私たち性を感じられるのか。荘子itは映像作家ペンナッキーと組み、風景を見ることと共同性をテーマにしたパフォーマンスをやった。この回では、その「私たち性」がいま「言語化」を介して事後的に調達されているのではないか、という話につながっていく。
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関連項目
- 言語化と対比すべきはお気持ち「言語化」という言葉は、人を褒めるか自分をけなすかのどちらかでしか使われない(「言語化能力は私にはあります」と言う人はいない)。
- 言葉にすることが考えることだ「言語化」という枠組みでは、まず内面に気持ちがあって、それを言葉に変換する、という順序が前提になる。
- 聖なる価値柳澤田実の連載「ポップカルチャーと聖なる価値」のキーワード。
- 考察と批評三宅香帆『考察したがる若者たち』を受けて。
- 出口ではなく糸口「この状況は閉じている」と言った直後に「でも私はそこから出ています」と続けてしまう身振り——哲学がやりがちなこと。
- もっと手前にある何か福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。
- できるようになることを教えるつもりはない福尾は面談をやってみて「文章を書くのを教えるのがめっちゃうまいかもしれない」と思った。
- 欲求と欲望動物的な欲求を刺激されている、というだけではない。