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もっと手前にある何か

もっとてまえにあるなにか

福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。

初出
言語化とか宗教とか(2025年11月24日)

番組より

書くとか考えるとかって、すごい自分の遠いところにあるものをいかに手繰り寄せるかみたいな感じでイメージしがちなんだけど、実際そうじゃない。もっと手前にある何かに立ち返るっていうか、自分が立ってる場所をもう一回ちゃんと見てみるみたいなところからしか出発しないよなって思った。

この項目について

50代の受講生が「藤井風について書きたい」——しかも藤井風について書かれたバズったnoteがあって、その経験をもとに——という案を出してきたが、「それはエッセイについてのエッセイを書くということになりますよね」と応じつつ、なぜ書こうと思っているのかを聞いていった。すると、企業の役員を辞めて美大の院に入ったこと、美術の世界では「リベラルであること」があまりに当たり前になっていて驚いたこと、前の会社ではノンポリか保守寄りが当たり前の世界で生きてきたこと、そこで感じる居場所のなさ——という話がどんどん出てきた。「それっすよ。そういうのがいいエッセイになると思いますよ」。書くとか考えるとかは、自分の遠いところにあるものをいかに手繰り寄せるか、とイメージされがちだが実際はそうではない。かといって身近なことばかり書けという話でもない。もっと手前にある何かに立ち返る——自分が立っている場所をもう一度ちゃんと見てみるところからしか出発しない。「書けない」「自分はダメなんじゃないか」のほうへ気持ちが固まっていくほど、書かなければいけないものはどんどん遠くなっていく。そのジレンマをいかに解除するか。荘子itは「外側から何かを評価しているにすぎないのをやめて、対象を引き寄せて自分の問題として語る」ことだ、と言い直す。

この項目が出てくる回

関連項目

韻を踏んでいること

この項目に言及している項目