もっと手前にある何か
もっとてまえにあるなにか
福尾のエッセイ講座のグループ面談で起きたこと。
番組より
書くとか考えるとかって、すごい自分の遠いところにあるものをいかに手繰り寄せるかみたいな感じでイメージしがちなんだけど、実際そうじゃない。もっと手前にある何かに立ち返るっていうか、自分が立ってる場所をもう一回ちゃんと見てみるみたいなところからしか出発しないよなって思った。
この項目について
50代の受講生が「藤井風について書きたい」——しかも藤井風について書かれた バズったnoteがあって、その経験をもとに——という案を出してきたが、 「それはエッセイについてのエッセイを書くということになりますよね」と応じつつ、 なぜ書こうと思っているのかを聞いていった。 すると、企業の役員を辞めて美大の院に入ったこと、 美術の世界では「リベラルであること」があまりに当たり前になっていて驚いたこと、 前の会社ではノンポリか保守寄りが当たり前の世界で生きてきたこと、 そこで感じる居場所のなさ——という話がどんどん出てきた。 「それっすよ。そういうのがいいエッセイになると思いますよ」。 書くとか考えるとかは、自分の遠いところにあるものをいかに手繰り寄せるか、 とイメージされがちだが実際はそうではない。かといって身近なことばかり書け という話でもない。もっと手前にある何かに立ち返る—— 自分が立っている場所をもう一度ちゃんと見てみるところからしか出発しない。 「書けない」「自分はダメなんじゃないか」のほうへ気持ちが固まっていくほど、 書かなければいけないものはどんどん遠くなっていく。 そのジレンマをいかに解除するか。 荘子itは「外側から何かを評価しているにすぎないのをやめて、 対象を引き寄せて自分の問題として語る」ことだ、と言い直す。
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関連項目
- 言語化と対比すべきはお気持ち「言語化」という言葉は、人を褒めるか自分をけなすかのどちらかでしか使われない (「言語化能力は私にはあります」と言う人はいない)。
- 言葉にすることが考えることだ「言語化」という枠組みでは、まず内面に気持ちがあって、それを言葉に変換する、 という順序が前提になる。
- 聖なる価値柳澤田実の連載「ポップカルチャーと聖なる価値」のキーワード。
- 私たち性の不在柳澤田実が「デサイロ」で荘子itと組んだときのテーマ。
- 考察と批評三宅香帆『考察したがる若者たち』を受けて。
- 出口ではなく糸口「この状況は閉じている」と言った直後に「でも私はそこから出ています」と 続けてしまう身振り——哲学がやりがちなこと。
- できるようになることを教えるつもりはない福尾は面談をやってみて「文章を書くのを教えるのがめっちゃうまいかもしれない」 と思った。
- Kanye West韓国で荘子itが初めてライブを観た。