2手3手先に置くべきものをいきなり置く
にてさんてさきにおくべきものをいきなりおく
接続詞なんていらないのではないか、という自分の昔の文章の話から。
番組より
本来だったら2手3手先に置くべきものをいきなりまず置いちゃうみたいな。一回置いちゃうと、2手3手スキップした分の繋がりも後から出てくるだろうみたいな、そういうオプティミズムみたいな感じで書いたりするのは好きだけどね。
この項目について
福尾が好きなのは接続詞なしでガンガン進めることと、もう一つ、「そんなのダメじゃん」という接続の仕方だという。段落が切り替わったところで「僕が興味深いと思うのは」と始めてしまう——本当はなぜその話になるのかを客観的に立証しなければいけないのに、「僕が思うのは」で切り込んでしまう。書いていて手が止まり、このままリニアに展開しても道筋が見えないぞとなったとき、本来なら2手3手先に置くべきものをいきなり置いてしまえば、スキップした分の繋がりも後から出てくるだろうというオプティミズムで書く。それも否定され性の一つ、と締める。
この項目が出てくる回
関連項目
- 否定され力音楽批評はずっと同じ二項対立の揺り戻しばかりで、全然アウフヘーベンしていないのではないか、という話から。
- パワーとタフネス可能なものとか、起こるかもしれないこととか、できるかもしれないものではなく——可能とか偶然とか必然でもなく——とにかくこれが起こったということは事実であって、その起こったことに対してどう自分が引き受けるか。
- 僕が興味深いと思うのは接続詞なしでガンガン書いていくのも好きだが、ありもしない接続を使うことがある、と福尾は言う。
- 疎の街が現実の空間に影響しているとしたら鳥取のジグシアターに、3年前に移住してきた左官職人の人がいて、「ここは結構、疎の街をうまくやれてると思うんですよ」と言ってくれた。
- 言語は全部借り物である平野啓一郎が、編集者から送られてきた対談原稿に自分の発言として「〜みたく」という言い方が入っていたのが嫌だ、とXに書いていた件から。
- 相対的匿名性いま同じことをXで言っても変なポジショントークに回収されるだけだから言わない——ポッドキャストくらいが適度でいい、というところから。
- 音楽批評には敵がいない今は肯定性の文化だから、敵を作るのは結構大事だ、と福尾。
- 気持ち悪がられ可能性否定され性と並んで出てくる言い方。