いい奴と思われたら終わり
いいやつとおもわれたらおわり
いい奴のほうがいいし、いい奴である側面も必要なのだが、 誰も加害ということから無縁ではいられない。
番組より
いい人だと思われたら終わり問題は、何か言えよって思われたら終わり問題でもあるっていうか。
どっちかに寄りかかんないみたいな、普通にスタンスというかやり方をしていかないといけない。どっちかに寄りかかるのはやっぱりSNSの作法でしかない。
この項目について
とはいえ左派のクリシェのように 「誰しも責任を引き受け続けなければいけない」と抽象的に言い続けても意味がないし、 逆に「もうみんな加害者なんだからダーティに行こうぜ」という 露悪的な方向に走るのも違う—— 露悪も、自分より大きいものに自分のやっていることの価値を預けている という意味では一緒だから。 ある程度まではダーティな部分を引き受けながら、どちらにも寄りかからない。 どちらかに寄りかかるのは、SNSの作法でしかない。 福尾は「いい人だと思われたら終わり問題は、 何か言えよと思われたら終わり問題でもある」と続ける—— 散々いろいろ言ってきたのだから、これについても何か言えよ、と思われる。 そこで何も言わないのが美徳とされるのもどうかと思う。 そいつの中の必然性が担保されているかどうかだ、と。
この項目が出てくる回
関連項目
- AIは密で、人間の脳は疎AIは人間の脳とは全然違うモデルなのだ、と福尾は言う。
- 拝金主義のほうが対応がまとも出版社をめぐる問題と、ホリエモンの動画を並べて話すなかで出てくる。
- 黙っていることが過剰な意味を持ち始めるSNSで発信しているタイプの人が、 **そういうつもりでなくても、今回黙っているということが 過剰な意味を持ち始める。
- 編集者は態度を決めたほうがいい福尾がフリーランスとして会社と仕事をしてきて思うこと。
- 作品を人質に取らなきゃいけない状態作品の取り下げという抗議のかたちについて。
- どちらの態度をとっても作品がないがしろにされる福尾があいちトリエンナーレのボイコットを思い出して言うこと。
- 無縁でいることはできない**何の組織にも何の界隈にも属さないことで、 永遠に免責され続けることは可能なのか。
- 不可視化された状態が温存されている加害者の社会復帰という論点について荘子itが言うこと。