どちらの態度をとっても作品がないがしろにされる
どちらのたいどをとってもさくひんがないがしろにされる
福尾があいちトリエンナーレのボイコットを思い出して言うこと。
番組より
どっちの態度をとっても作品がないがしろにされ続ける。それこそポジショントークの話ばっかりになっちゃうから。
その場を作ってる人の責任っていうのは、その作品の内実に目が行くようにするってことが一番必要なことだと思うんだけど。
この項目について
出す/出さないのどちらを選んでも ポジショントークの話ばかりになってしまい、 作品がないがしろにされ続ける。 あのときは海外作家中心にボイコットが起き、 日本の作家の多くはそのまま展示したので、作家の内部にも分断が生まれた。 編集者やキュレーターのような、場を作っている人の責任は、 作品の内実に目が行くようにすることだと思うが、当時はそうならなかった。 ある程度ポジションを明確にすることも必要だが、 どうやって「それだけ」にならないようにするかも考えなければいけない。
この項目が出てくる回
関連項目
- AIは密で、人間の脳は疎AIは人間の脳とは全然違うモデルなのだ、と福尾は言う。
- 拝金主義のほうが対応がまとも出版社をめぐる問題と、ホリエモンの動画を並べて話すなかで出てくる。
- 黙っていることが過剰な意味を持ち始めるSNSで発信しているタイプの人が、 **そういうつもりでなくても、今回黙っているということが 過剰な意味を持ち始める。
- 編集者は態度を決めたほうがいい福尾がフリーランスとして会社と仕事をしてきて思うこと。
- 作品を人質に取らなきゃいけない状態作品の取り下げという抗議のかたちについて。
- 無縁でいることはできない**何の組織にも何の界隈にも属さないことで、 永遠に免責され続けることは可能なのか。
- 不可視化された状態が温存されている加害者の社会復帰という論点について荘子itが言うこと。
- エアヘッデッドネスとレディオヘッド千葉雅也のギャル男論では、 ギャル男のふわふわツンツンした髪が エアヘッデッドネス(頭空っぽさ) という概念で名指される。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
この項目に言及している項目
- いい奴と思われたら終わりいい奴のほうがいいし、いい奴である側面も必要なのだが、 誰も加害ということから無縁ではいられない。
- 意外だと思われなくなったら終わり最近いろんなことについて発言すると 「荘子itがそういうの、意外だな」とめっちゃ言われる—— それを荘子itはありがたいと思っている。
- 鍵を閉めたくない荘子itは実家の鍵をしょっちゅう忘れて、 **マンションの外壁を伝って玄関から裏側のベランダに回って入っていた。
- 声を愛するには聞きすぎてはいけない黒嵜想の声優論の出発点として福尾が紹介する。
- 状況がとんでもなくなるほど冷静になる福尾が自分について言うこと。
- すげえトークン出るらしいじゃん福尾のツイートだけを見た荘子itが「何のこっちゃ」と思ったところから始まる回。
- 次の時代のガコッガチャガチャした音楽が好きだが、 **ガチャガチャ系にもクールネスの型があって、そこにハマってしまう。
- 飛び降りすぎてかかとの骨がやばくなった福尾が「今思えばあの時からADHD的なことはあったのかな」と振り返る話。
- ノスタルジーというには具体蒲田のタイヤ公園と、夕方5時のチャイム。
- 表層の表面だけで萌える荘子itが東浩紀『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』で 一番面白かったところ。