2026年3月9日
作り手とメディアのこれから
お笑いとメディアがこれからどうなるかという話から、黙っていることが持つ意味、そして状況がとんでもなくなるほど自分が冷静になっていく感覚まで。
話の流れ
- 0:00すごいトークンが出るらしい福尾がそう言い出して一生笑える、というところから始まる。
- 3:10これで終わったのかブレイキングダウンもやっている人。別に終わらないと思うし、これも一つの何かとしてある。
- 6:21お笑いはこれからどうなるかその外側でお笑いというものがどうなっていくのかが気になる。団地にゲストで呼ばれたとき、鈴木ジェロニモも同じ認識だった。
- 9:33人はひとくくりにすればそんなに悪くない個性はあるけれど、まとめて言えばすごく悪い人ということはない。
- 12:43黙っていることが意味を持ってしまうSNSで発信しているタイプの人の周りでは、そういうつもりがなくても今回は黙っている、ということが意味を持つ。
- 1:04:53火星のマスク『アーギュメンツ』に載った論考。だが『アーギュメンツ』はもう全く流通していないので読めない。何らかの形で読めるようになるといい。
- 1:08:03あの公演を見ると思い出す飛び降りていたな、と。その時からドーパミンの分泌に何かしら異常があったのだろう。
- 1:11:13状況がとんでもなくなるほど冷静になるそういう感覚がある。今回のことでも。
- 1:14:23健やかにお過ごしください締め。
- 15:53取り下げ運動は加熱しすぎではないか沈黙しながらそこに異議を唱えたい人もいる。それも一理あるが、それが起きた上で「それだけでいいんだっけ」という議論になるべき。
- 16:54一番困っているのは新人作家みんなが取り下げるとなると、告知のツイートすらできなくなる。その苦しさが分かるから、そこに加勢したくない。
- 18:02あいちトリエンナーレのことボイコットする作家としない作家。どちらの態度をとっても作品がないがしろにされ続けた。
- 19:47作品を人質に取らなきゃいけない連帯を表明する手段が他にないから、そうなってしまう。
- 22:06不可視化された状態が温存されているそれが続いているうちは、加害者の社会復帰という話にも本当はなっていない。
- 24:04拝金主義のほうが対応がまとも道徳や倫理が優れているわけではなく、リスク管理として。
- 25:03なぜ出版社から出さなきゃいけないのかプラットフォームに自分の作品を託すこと自体がリスクだ、という判断はもう現実的になりつつある。
- 26:40守られているから成り立つ文芸誌も儲かるものではない。経済合理性度外視だからこそできるいいことの側面には、悪い側面も絶対にくっついてくる。
- 27:48無縁でいることはできないなのにみんな無縁なつもりでいる。
- 30:30イランさんからイラン問題へ1週間で中黒が消えた。とんでもない感があまり醸成されていないのもやばい。
- 33:10沖縄のガマに行った帰りのタクシーで、戦争というものについて考える口を開いたのは松丸だった。
- 35:00偽の予言者が来たオバマが大統領になったとき、パプアニューギニアの村ではそう言っている人が多かった。そういう原理で動いている人がめっちゃいる。
- 36:18どっちかに寄りかかるのはSNSの作法でしかない露悪も、自分より大きいものに価値を預けているという意味では一緒。
- 37:40誰でもいいから呼んでくださいそう呼びかけて、唯一声をかけてくれたのがランダムアクセスメモリーズだった。
- 40:00謎の真空を生み出して回っている3秒くらいの沈黙が不意に訪れる。何か言えよと思われてるのかな、でもいいや、と黙ってしまう。
- 43:40恐竜病ではなく狂牛病脳みそがスカスカになるぞ、という恐怖。小説を書くならそれをテーマにしたい。
- 44:40エアヘッデッドネス千葉雅也のギャル男論。その反対がレディオヘッド。
- 48:55意外だと思われなくなったら終わり「荘子itがそういうの意外だな」と言われるのがありがたい。
- 51:13じゅじゅトークしか聞いていない全部聞き切ってしまったので、同じものを何周もしている。作品の話だけをしている番組。
- 53:16粒立ちの違いだけを10分しゃぶるソニック・ユース『Murray Street』の「Rain on Tin」。中学から高校にかけて、生涯で一番聴いた曲かもしれない。
- 54:45次の時代のガコッ型にはまったガチャガチャではなく、ギリギリ突き破ってくるもの。
- 56:40ライブで見ないと分からないスタジオライブだけ見るとセンスがいいくらいに思っても、ライブパフォーマンスで見ると全然違う。
- 59:20声豚と声た豚萌えカルチャーの頃の声優消費とは違うものになってきている。
- 1:00:52声を愛するには聞きすぎてはいけないよく聞くと声優に遡ってしまう。解像度を下げる実践が要る。
- 1:02:01表層の表面だけで萌える実写映画ファンはカメラの側に立つ。オタクカルチャー以降は全く質が違う。
- 1:05:20タイヤ公園と夕方5時蒲田の、遊具が全部タイヤの公園。ノスタルジーというには具体。
この回で出てきた言葉
- いい奴と思われたら終わりいい奴のほうがいいし、いい奴である側面も必要なのだが、 誰も加害ということから無縁ではいられない。
- 意外だと思われなくなったら終わり最近いろんなことについて発言すると 「荘子itがそういうの、意外だな」とめっちゃ言われる—— それを荘子itはありがたいと思っている。
- エアヘッデッドネスとレディオヘッド千葉雅也のギャル男論では、 ギャル男のふわふわツンツンした髪が エアヘッデッドネス(頭空っぽさ) という概念で名指される。
- AIは密で、人間の脳は疎AIは人間の脳とは全然違うモデルなのだ、と福尾は言う。
- 鍵を閉めたくない荘子itは実家の鍵をしょっちゅう忘れて、 **マンションの外壁を伝って玄関から裏側のベランダに回って入っていた。
- 声を愛するには聞きすぎてはいけない黒嵜想の声優論の出発点として福尾が紹介する。
- 作品を人質に取らなきゃいけない状態作品の取り下げという抗議のかたちについて。
- 状況がとんでもなくなるほど冷静になる福尾が自分について言うこと。
- すげえトークン出るらしいじゃん福尾のツイートだけを見た荘子itが「何のこっちゃ」と思ったところから始まる回。
- 黙っていることが過剰な意味を持ち始めるSNSで発信しているタイプの人が、 **そういうつもりでなくても、今回黙っているということが 過剰な意味を持ち始める。
- 次の時代のガコッガチャガチャした音楽が好きだが、 **ガチャガチャ系にもクールネスの型があって、そこにハマってしまう。
- どちらの態度をとっても作品がないがしろにされる福尾があいちトリエンナーレのボイコットを思い出して言うこと。
- 飛び降りすぎてかかとの骨がやばくなった福尾が「今思えばあの時からADHD的なことはあったのかな」と振り返る話。
- ノスタルジーというには具体蒲田のタイヤ公園と、夕方5時のチャイム。
- 拝金主義のほうが対応がまとも出版社をめぐる問題と、ホリエモンの動画を並べて話すなかで出てくる。
- 表層の表面だけで萌える荘子itが東浩紀『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』で 一番面白かったところ。
- 不可視化された状態が温存されている加害者の社会復帰という論点について荘子itが言うこと。
- 編集者は態度を決めたほうがいい福尾がフリーランスとして会社と仕事をしてきて思うこと。
- 無縁でいることはできない**何の組織にも何の界隈にも属さないことで、 永遠に免責され続けることは可能なのか。
この回からの引用
なんかすげぇトークン出るらしいじゃんと。
出るらしいじゃんで一生笑えるっていうツイートだけを見て、何のこっちゃと思って。
拝金主義によって、むしろなんて言うんだろうな、倫理的になってるっていうか、倫理不問っていうか。
それ早晩終わるから、絶対どっちかにちゃんと態度決めた方がいいと思うんだよ。
編集者っていう会社と作家の間に立っているポジションに起こり得る問題の一つって感じなんですよね。
そういうつもりじゃなくても今回黙ってるみたいなことが過剰な意味を持ち始めるみたいなのは、これまでの振る舞いのせいだな。
どっちの態度をとっても作品がないがしろにされ続ける。それこそポジショントークの話ばっかりになっちゃうから。
その場を作ってる人の責任っていうのは、その作品の内実に目が行くようにするってことが一番必要なことだと思うんだけど。
作家が作品を人質に取らなきゃいけない状態に追い込まれちゃってるのがめっちゃかわいそう。その責任もあるよね、メディアには。
疑わしきは罰せずで、あいつのことを一応信じてみようみたいなぐらいの判断が、回り回って作家さんに作品を人質に取らせるような事態にまで発展させてるっていうケースは普通にある。
コンプライアンスの徹底とか、そういう話ともなんかちょっと違う気がするんだよね。普通の意味でのこう誠実さとかさ、なんかそういうものの問題って気もするし。
その不可視化された状態がやっぱ温存されてるうちは、本当の意味で加害者の社会復帰みたいな話にも本当はなってないんじゃないか。
ただの合理主義者でただの拝金主義者の方がリスク管理もちゃんとしてるみたいな。それは道徳とか倫理が優れてるわけじゃなくて、結構対応が相対的にまともだったりする。
何の組織にも何の界隈にも属さないということで、永遠にこう免責され続けることで可能なのかみたいな。
全くなんだろうな、無縁でいることって無理だなって思ったね。結構なのにみんな無縁なつもりでいるなって思った。
どっちかに寄りかかんないみたいな、普通にスタンスというかやり方をしていかないといけない。どっちかに寄りかかるのはやっぱりSNSの作法でしかない。
AIはめっちゃ密だし、人間の脳はめっちゃ疎みたいな。関係ないっていうことが一番究極にクリティカルなポイントだよね。
本当に多くのものに関係ないっていうことが。特化してるみたいな言い方と別の言い方として、やっぱり疎があるんだなって思うね。
ギャル男のふわふわのツンツンした髪のこと、頭空っぽさ、エアヘッデッドネスっていう概念で名指したりしてるけど。
エアヘッデッドネスの反対、レディオヘッドだなと思って。ヘッドがレディオみたいに全部受信しちゃう状態に対してエアヘッデッドネスってある。
いい人だと思われたら終わり問題は、何か言えよって思われたら終わり問題でもあるっていうか。
荘子itがそういうの意外だなってめっちゃ言われることがあって、それ結構ありがたいなって思う。やっぱり意外だと思われなくなったら、それこそ終わりだなと思うし。
首尾一貫した、何か言わなくても成立するキャラクターっていうのを保つのが大事であると同時に、それを踏まえた上で、めっちゃクリティカルなことってちょっと意外なことだったりするよね。
次の時代のガコッを求めてしまう。あのガコッをね、初めて聞いた時やっぱりビビるわけじゃん。
→ 次の時代のガコッ
カッティングなんて、なんか普通そういうことミュートしてるわけだからさ、なんか静かなもんじゃん。ジャーンよりもガコッの方が迫力があるっていう逆転。
→ 次の時代のガコッ
キャラの声を愛するってことは、その声をよく聞きすぎちゃダメなんだよね。よく聞きすぎると声優に遡っちゃうから。
オタクカルチャー以降は、本当に表層の表面だけで萌えるっていうことで、全く質が違うんだって話をしてて。
本当にその作品での声、そのキャラクターのその瞬間の声そのものを感受しきるには、やっぱりそういう見方じゃダメだっていう。
作家論とか、なんかそういう時代を表した鏡みたいな方に流されてしまうのを、あえて禁欲的に、めっちゃそのキャラクターを好きになってしまうという方向にやってみるということが大事。
普通にノスタルジーという言葉で片付けていいのか分からないけど、ノスタルジーっていうには具体なんだよね。
昨今言われてるノスタルジー的なものともちょっと違う、自分の人生がそのまま圧縮されている感じ。
とにかくね、高いところから飛び降りるのが好きだった。なんか2階ぐらいだったら飛び降りれるみたいな。
ほんと飛び降りすぎてかかとの骨が結構やばいことになってて。それで医者に、飛び降りるのやめなさいって。
未だに鍵を開けっぱなしがいいっていう気持ちがあるんだよね。
→ 鍵を閉めたくない
財布も100回ぐらい落として毎回交番に届いてるしな。変にこう野蛮ぶってるわけじゃなくて、平和ボケだからこそ。
→ 鍵を閉めたくない
パニックになればなるほど、状況がとんでもないことになればなるほど、どんどん自分が冷静になっていく感覚がある。
周りがやばい時の方が安心して力を発揮できるみたいなのがマジであるんだよね。むしろなんか嬉しくなってきちゃったりするからね。