ぶつかりおじさんの集まりだと思われている
ぶつかりおじさんのあつまりだとおもわれている
ゲンロンでのイベントを前に、福尾が一つのキーワードとして考えていたこと。
番組より
批評って傍から見ると、ぶつかりおじさんの集まりだと思われてるっていう前提から出発しないといけないと思うんだよね。それをどうやって乗り越えるかっていうと、アイディアに転がされてる面白い人たちなんだって思ってもらわないと。
この項目について
結局そのワードは一度も出さなかったけれど、批評は傍から見ると「ぶつかりおじさんの集まり」だと思われている、という前提から出発しなければならない。それを乗り越えるにはアイデアに転がされている面白い人たちなんだ、と思ってもらわないとダメ——リブランディング。あいつにこれを言ってやろうというモードより、自分はこういうことに好奇心があるんだと示していく方が大事、という基本のキの話をしているつもりだ、と。荘子itは「俺の方が疎だ」と言い合う空間がメタメッセージとしては見ている人に密に感じられる、と受ける。
この項目が出てくる回
関連項目
- 疎だと思えば疎、密だと思えば密疎密は物そのものの性質ではない。
- だから疎という概念を作った受け取る側が密だと思ったら、もうそれは密なのだ——先週のレディオヘッド性の話と同じで、そこは動かせない。
- 疎密と疎密の対比これを言い始めるとややこしくなるので今まで言わないようにしていた、と福尾が前置きして出す話。
- 意味自体がまだスカスカXでいろんな人が何かの感想にかこつけて「疎」という概念を使いはじめている。
- 日記的か自伝的か疎密とは別に、もう一つ立てている軸。
- 世の中が密だと疎なものも密になるだから、ただ疎なことをやっていればいいということでもない。
- スパーシティ「疎」は英語にも輸入されてほしい、という話から。
- 疎という言葉自体がまだスカスカXでいろんな人が何かの感想にかこつけて「疎」という概念を使い始めている——誰も隅々まで正確に理解しているわけではない(福尾も含めて)のに多発的に応答されて、言葉ってこうやって命が吹き込まれていくんだ、と荘子it。