リソースは一個でいい
りそーすはいっこでいい
『群像』の新連載でも書いていること。
番組より
批評とか哲学ってのは本来なんか持たざる者たちのためのもので、つまり何の文化資本とかみたいなものがなかったとしても、哲学書とか何冊か読んだりとか何本か映画見たりとか、本当はそれだけでできるもんだから。
批評はめっちゃそのリソース自体が全然そうでいいっていうか、一個でいいんだよね。
この項目について
批評や哲学は本来、持たざる者たちのためのもので、文化資本が何もなくても、哲学書を何冊か読む、映画を何本か見る、それだけでできるはずのもの。アカデミズムは「これについて話したいならあれを読め」の連鎖で、ドゥルーズを語りたいならまずハイデガーを、まずカントを、と延々に言われる。けれど本当の哲学、本当の批評は、ドゥルーズだけ読んでドゥルーズの話をして、でもドゥルーズとは別のことが出てくるというマジカルなものだから、リソース自体は一個でいい。その成り上がり性——何も持っていない若者がこれだけでひっくり返せるぞという熱さ——は批評に必要だ、と福尾は言う。荘子itはそこに階級闘争を見る。数字で上回っても消えない、初期設定の持たざる者と持てる者の差に報いることができるのが批評なのだ、と。
この項目が出てくる回
関連項目
- しないこともできる状態にいられるのが能力『置き配的』の原型になった文章で、隠喩と換喩の話をずっとしたあと、いろいろすっ飛ばして出てくる話。
- 存在より前に政治があるドゥルーズを語っていて出てくる一句。
- 批評は社会保障のようなもの東浩紀がインタビューで「批評とは何か」と訊かれて、社会保障みたいなものだと答えていたのが良かった、と荘子itは言う。
- 5年前のことも考古学ができるなぜ歴史学ではなく考古学と言うのか。
- ほっとくとこうなる収録前に、荘子itが2019年の『文芸』冬号に書いた文章が発掘された。
- 最後の平和ボケ2019年と2020年でトーンが変わった、という話。
- 上半身と下半身で別のゲームを同時にやる『群像』での東浩紀との対談を振り返って。
- 情報量としてはゼロなのに何かを言ったことになる存在より前に政治があるの実例として、福尾が高市早苗の国会答弁を挙げる。