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しないこともできる状態にいられるのが能力

しないこともできるじょうたいにいられるのがのうりょく

『置き配的』の原型になった文章で、隠喩と換喩の話をずっとしたあと、いろいろすっ飛ばして出てくる話。

初出
存在より前に政治がある(2026年6月8日)

番組より

そもそも何かができるっていう状態がやばいんだみたいなことを言っていて、つまりpossibleっていうのはパッサブル。何かができるってことはパスできるってことなんだ。

可能性能力って何のためにあるかっていうと、何かを選択するためにあるんじゃなくて、しないこともできることがバラバラある状態にいることができるのが本当の能力だから。

密な状態と疎な状態だとやっぱり疎な状態がいいとされてるのは、やっぱり密だと単純にエネルギーばっかり食ってる状態になってややこしい。

この項目について

possible は passable である——何かができるということは、それをしなくてもよいということでもある。お茶が飲める状態にあるということは、飲まないこともできるということだ。できることが選択肢として与えられているとして、実際にそれを行為に移す割合はめちゃくちゃ少ないはずで、そう考えると可能性や能力は何かを選択するためにあるのではなく、しないこともできることがバラバラある状態にいられることこそが本当の能力なのではないか。その「ある種冷めたあり方」が『置き配的』ではという概念になった。密にフル稼働ではなく、疎でこなせる。荘子itは脳の神経発火の話を重ねる——密だとエネルギーばかり食う状態になり、全体の数パーセントのニューロンしか使わないほうが効率がいいとされている。さらに東浩紀『平和と愚かさ』の、考えないでよくなる状態とも繋がる。

この項目が出てくる回

関連項目

となりで喋られていたこと

韻を踏んでいること

この項目に言及している項目