批評は社会保障のようなもの
ひひょうはしゃかいほしょうのようなもの
東浩紀がインタビューで「批評とは何か」と訊かれて、社会保障みたいなものだと答えていたのが良かった、と荘子itは言う。
番組より
批評ってなんですかみたいな、社会保障みたいなものって言ってたのがすごい良くて。
本当お金もなくなって、どんな尊厳からも見放されて、何の権威性もない一人の男になったとしても、批評は面白いみたいな。
批評とか哲学ってのは本来なんか持たざる者たちのためのもので。
この項目について
最も自由な営みだ、というポジティブな定義の仕方もあるけれど、そうではなく——本当にお金もなくなって、どんな尊厳からも見放されて、何の権威性もない一人の男になったとしても、批評は面白い。そんな状態でも楽しめるものが批評という領域にある、という言い方。なくても全然大丈夫な人はいっぱいいて、でも必要になるタイミングや人の種類がいる。少し消極的な定義だが、それがめちゃくちゃリアルでいい。福尾も新連載で、批評や哲学は本来持たざる者たちのためのものだという話をしている。
この項目が出てくる回
関連項目
- しないこともできる状態にいられるのが能力『置き配的』の原型になった文章で、隠喩と換喩の話をずっとしたあと、いろいろすっ飛ばして出てくる話。
- 存在より前に政治があるドゥルーズを語っていて出てくる一句。
- 5年前のことも考古学ができるなぜ歴史学ではなく考古学と言うのか。
- ほっとくとこうなる収録前に、荘子itが2019年の『文芸』冬号に書いた文章が発掘された。
- 最後の平和ボケ2019年と2020年でトーンが変わった、という話。
- 上半身と下半身で別のゲームを同時にやる『群像』での東浩紀との対談を振り返って。
- 情報量としてはゼロなのに何かを言ったことになる存在より前に政治があるの実例として、福尾が高市早苗の国会答弁を挙げる。
- マジョリティをどう定義するかのフレームを作る速水健朗との対談から、福尾が引き出した論点。