最後の平和ボケ
さいごのへいわぼけ
2019年と2020年でトーンが変わった、という話。
番組より
最後の平和ボケって感じあるよね。
そうねだから本当にオルタナの夢だったのかもね。
この項目について
2019年はあいトリの問題もあってパンパンに緊張感が張り詰めていた爆発寸前の状態だったのが、2020年にはコロナで変な形に爆発霧散してしまった。千葉東的な一つ上の世代が塊としてあって、それにどう食らいついていくかというスタンスが取りやすかったのも2010年代までで、2020年代に入ると上の世代もバラバラ、自分たちもバラバラになっていく。2019は最後の平和ボケであり、ある種の熱があった時——平和ボケと熱っぽさは通じるところがある、と荘子it。荘子itにとっては、空間を持たずにオルタナの開拓を無心にし続けることができた、オルタナの夢の年でもあった。
この項目が出てくる回
関連項目
- しないこともできる状態にいられるのが能力『置き配的』の原型になった文章で、隠喩と換喩の話をずっとしたあと、いろいろすっ飛ばして出てくる話。
- 存在より前に政治があるドゥルーズを語っていて出てくる一句。
- 批評は社会保障のようなもの東浩紀がインタビューで「批評とは何か」と訊かれて、社会保障みたいなものだと答えていたのが良かった、と荘子itは言う。
- 5年前のことも考古学ができるなぜ歴史学ではなく考古学と言うのか。
- ほっとくとこうなる収録前に、荘子itが2019年の『文芸』冬号に書いた文章が発掘された。
- 上半身と下半身で別のゲームを同時にやる『群像』での東浩紀との対談を振り返って。
- 情報量としてはゼロなのに何かを言ったことになる存在より前に政治があるの実例として、福尾が高市早苗の国会答弁を挙げる。
- マジョリティをどう定義するかのフレームを作る速水健朗との対談から、福尾が引き出した論点。