ロールモデルがいなかった
ろーるもでるがいなかった
10代・20代の頃、ロールモデルになる人がいなかった、と荘子itは言う。
番組より
俺が10代の時、大学生の時とかのロールモデルになる人いなかったんだよね、あんまり。
批評とか哲学の世界でも、やっぱ大学の先生か東浩紀かみたいな二択みたいなイメージあって。
この項目について
菊地成孔は好きでも 「所詮バブルの人たち」で別次元だし、 東浩紀はそもそも超エリート。 好きな人は上の世代にいるけれど、年代が結構違う—— 自分が10代20代のときに30代だった人、というのがいなかった。 福尾も「批評や哲学の世界でも、 大学の先生か東浩紀か、みたいな二択のイメージがあった」と言う。 「ワンチャン、俺らがそれになれるんじゃないか。なり得るぞ。」 直後に「にしても経費の割合が低すぎる」という話に戻るのがこの回。
この項目が出てくる回
関連項目
- リングの外で喋る安心して殴り合えるボクシングのような映画があるとしたら、自分たちがやっているのはそのリングの外で喋る感じだ、と荘子itは言う。
- 目の前に作品があると記述しなくて済むアート関係の仕事で、対話型鑑賞をやってみたいという依頼を受けたが、福尾は最終的にその形は嫌だと言った。
- 千本ノックで言葉を鍛えられた今ならほぼパワハラと言われてもおかしくないような、超厳しいやり合い。
- 書評を依頼された時点で読者になれない作家二人の読書会で出ていた指摘として荘子itが紹介する。
- 色がつかないようにする千葉雅也が『置き配的』を、出てから半年ほど置いてから読み始めた。
- 創造的な非対称性『置き配的』の最後に書いた話。
- 公に出すからこそ偏った主張ができる創造的な非対称性を荘子itが受ける。
- ハラスメントは引用されているジュディス・バトラー『触発する言葉』を福尾が紹介する。