公に出すからこそ偏った主張ができる
おおやけにだすからこそかたよったしゅちょうができる
創造的な非対称性を荘子itが受ける。
番組より
公に出すことによっていろんな目に晒されるという前提の下で、偏った主張が初めてできる、暴力的な表現もできるっていう感じなんだよね。
公的な場所とその閉域を勘違いしちゃってるっていうか、本人もパフォーマンスのつもりでセクハラをしてるみたいな、よくあるじゃん。
この項目について
作品の中でスレスレのことを主張するのは、 観客も批評家も他のクリエイターも、いろんな目に晒されて いいのか悪いのかの議論が生まれるから、意義がある。 だが狭い範囲——1対1の場でやると、 相手がどう思うかが全てになってしまう。 公に出すことによっていろんな目に晒されるという前提のもとで、 偏った主張が初めてできるし、暴力的な表現もできる。 そして問題は、公的な場所と閉域を勘違いしてしまうこと—— 本人はパフォーマンスのつもりでセクハラをしている、 ということはよくある。それは全く免罪符にならないけれど、 本人の自意識の中ではどうしてもそうなってしまっている場合が 多々あると思う。
この項目が出てくる回
関連項目
- リングの外で喋る安心して殴り合えるボクシングのような映画があるとしたら、自分たちがやっているのはそのリングの外で喋る感じだ、と荘子itは言う。
- 目の前に作品があると記述しなくて済むアート関係の仕事で、対話型鑑賞をやってみたいという依頼を受けたが、福尾は最終的にその形は嫌だと言った。
- 千本ノックで言葉を鍛えられた今ならほぼパワハラと言われてもおかしくないような、超厳しいやり合い。
- 書評を依頼された時点で読者になれない作家二人の読書会で出ていた指摘として荘子itが紹介する。
- 色がつかないようにする千葉雅也が『置き配的』を、出てから半年ほど置いてから読み始めた。
- 創造的な非対称性『置き配的』の最後に書いた話。
- ハラスメントは引用されているジュディス・バトラー『触発する言葉』を福尾が紹介する。
- 残虐行為の創作性ゼロ報じられた事件の内容について荘子itが言うこと。