書評を依頼された時点で読者になれない
しょひょうをいらいされたじてんでどくしゃになれない
作家二人の読書会で出ていた指摘として荘子itが紹介する。
番組より
やっぱり書評として依頼された本はもう読書にならないっていうか。面白がれるものなら面白がりたいってやっぱ思っちゃうし、お金ももらってるから褒められるものなら褒めたいって思っちゃう。
そこに下駄を履かせてる時点で、やっぱ作品を本当に評価することできないみたいなこと言ってて。
この項目について
書評として依頼された本は、もう読書にならない。 面白がれるものなら面白がりたいと思うし、 お金ももらっているから褒められるものなら褒めたいと思う—— その時点で、作品が本来クリアしなければいけないはずの 「読者をその気にさせる」という一番難しいハードルを、 自分から超えてあげようとしている状態になっている。 そこに下駄を履かせている時点で、作品を本当に評価することができない。 「愚にもつかない」で終わらせる選択肢が、基本的にはない。 たまたま暇なときに手に取って、 「俺を楽しませるもんなら楽しませてみろよ」くらいの状態で見たときに、 やっぱり食らう——それが本当の出会い方なのだ、と。
この項目が出てくる回
関連項目
- リングの外で喋る安心して殴り合えるボクシングのような映画があるとしたら、自分たちがやっているのはそのリングの外で喋る感じだ、と荘子itは言う。
- 目の前に作品があると記述しなくて済むアート関係の仕事で、対話型鑑賞をやってみたいという依頼を受けたが、福尾は最終的にその形は嫌だと言った。
- 千本ノックで言葉を鍛えられた今ならほぼパワハラと言われてもおかしくないような、超厳しいやり合い。
- 色がつかないようにする千葉雅也が『置き配的』を、出てから半年ほど置いてから読み始めた。
- 創造的な非対称性『置き配的』の最後に書いた話。
- 公に出すからこそ偏った主張ができる創造的な非対称性を荘子itが受ける。
- ハラスメントは引用されているジュディス・バトラー『触発する言葉』を福尾が紹介する。
- 残虐行為の創作性ゼロ報じられた事件の内容について荘子itが言うこと。