小説は報告から始めるべきでは
しょうせつはほうこくからはじめるべきでは
上野の国際子ども図書館で手に取った石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』は、一文目からノンちゃんを紹介している。
番組より
報告っていうスタンスを著者とか語り手が取るっていうのは、結構小説にとってめっちゃ大事なんじゃないかなと思って。つまり報告って何をするかっていうと、読者に読者っていうロールを与えるっていうことだと思うんだけど。
この項目について
「今の小説にないのはこれだ」と福尾は思った。報告というスタンスを語り手が取ることは、読者に「読者というロール」を与えることでもある。小説が表現形態として洗練されていくことと、紹介や報告を省くことはトレードオフの関係にあった。ノベルはほとんどニュースと同じ語で、新しい出来事の報告という意味なのだから、もう一度報告から始めるべきではないか。いま流行っている物件ホラー的なものが報告のスタンスを取りやすいこととも関係しているかもしれない。
この項目が出てくる回
関連項目
- 置き配的コミュニケーション福尾がこの回で与えた、本のいちばん短い定義。
- 空間の中にプラットフォームがある置き配というシステムそのものより、それによって「空間というものがないことになってしまう」ことが一番の問題だ、と福尾は言う。
- 空間の話をしない空間的なものの話はするのに、空間の話はしない——それが日本の思想や批評のすごく大きな弱点だ、と福尾はずっと思っている。
- ドパガキ「ドーパミン中毒のガキのための音楽」の略。
- 一周目おじさんDos Monos内で一時期流行ったミーム。
- コンスタティヴとパフォーマティヴ「あいつの言ってることはパフォーマンスで」というときのパフォーマンスと、言語行為論のパフォーマティヴは違う、という話。
- ラッセン本の無断参照問題ラッセンをテーマにしたフィクションの小説が、明らかに『ラッセンとは何だったのか?』(千葉雅也らが寄稿した評論本)を種本にしているのに、参考文献に挙げていないとして問題になった。
- 小島大大荘子itと同世代のMV監督。