空間の話をしない
くうかんのはなしをしない
空間的なものの話はするのに、空間の話はしない——それが日本の思想や批評のすごく大きな弱点だ、と福尾はずっと思っている。
番組より
空間的なものの話はするんだけど、空間の話はしないみたいなことが、僕はすごい日本の思想とか批評のめっちゃ大きな弱点だなってずっと思ってて。
この項目について
例として松本卓也の「斜め」論を挙げる。斜めとは空間的なものの話のはずなのに、空間の話が全く出てこない。しかもそこで扱われているガタリは、ラボルド病院という実験的な精神医学の場=空間を作った人のはずなのに、その側面には触れられず、水平・垂直・斜めというメタファーのレベルの話に終わっている。荘子itは、宇野常寛の「庭」も同じくメタファーとしての庭であって、実際に庭師の経験がある人の本のほうが面白いかもしれない、と応じつつ、「ラーメンと瞑想」のように実際の現場をセットで出すことには意味があるのかもしれない、と言う。そして「この番組で週一でとりあえず集まるのが、俺らなりのラーメンと瞑想だ」「とりあえずここに空間はあるぞ」と落ちる。
この項目が出てくる回
関連項目
- 置き配的コミュニケーション福尾がこの回で与えた、本のいちばん短い定義。
- 空間の中にプラットフォームがある置き配というシステムそのものより、それによって「空間というものがないことになってしまう」ことが一番の問題だ、と福尾は言う。
- ドパガキ「ドーパミン中毒のガキのための音楽」の略。
- 一周目おじさんDos Monos内で一時期流行ったミーム。
- 小説は報告から始めるべきでは上野の国際子ども図書館で手に取った石井桃子『ノンちゃん雲に乗る』は、一文目からノンちゃんを紹介している。
- コンスタティヴとパフォーマティヴ「あいつの言ってることはパフォーマンスで」というときのパフォーマンスと、言語行為論のパフォーマティヴは違う、という話。
- ラッセン本の無断参照問題ラッセンをテーマにしたフィクションの小説が、明らかに『ラッセンとは何だったのか?』(千葉雅也らが寄稿した評論本)を種本にしているのに、参考文献に挙げていないとして問題になった。
- 小島大大荘子itと同世代のMV監督。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
- 八月の光oiai・どうしても入ってこなくて途中でやめていたが、読み直したらとんでもないと思った。
- 鬼滅の刃とシャーマンキングの違いoiai・『鬼滅の刃』は、古き良き日本的なものと近代化・個人主義の波が同時に来ている大正時代を舞台にしていて、鬼舞辻無惨たち鬼は西洋風の格好をした不老不死=個人主義の極北、炭治郎たちは仲間や家族のために戦うというイデオロギー闘争として読める。
- 相談という手を取った置き配oiai・相談の形をとってはいるが、実は「その人にそのことを言っとく」というメタデータの方が本体になっているコミュニケーションのこと。
- 脳の容量の取り合いoiai・同棲を始めたころ、福尾は「めっちゃいろいろ聞かれるな」と負担に感じていた。