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意味より強度、の使われ方

いみよりきょうどのつかわれかた

宮台真司ですらドゥルーズを参照して「意味より強度」と言うが、それは物語なんか信じないで情動と溢れんばかりのものにまみれようぜという、ある種ドパガキ的で30代的な物語でもある、と荘子it。

初出
過保護と放課後(2026年7月20日)

番組より

一時期のドゥルーズもそれこそドパガキ的というか、とにかく強い情動を自分の中に喚起されるするものと出会いまくるのが良しみたいな感じだったんだけど、それとは全然違うものが全然ドゥルーズの中にもいっぱいありますよって話をしてるのが非美学だから。

そっから一歩こうステップバックして、でも自分はアーティストじゃないし、自分は哲学者で、アーティストがやるべきことと哲学者がやるべきことって違うよねみたいなところに返ってくるのが、晩年の『哲学とは何か』っていう本みたいな。

この項目について

福尾によれば、一時期のドゥルーズにも確かに「とにかく強い情動を自分の中に喚起するものと出会いまくるのが良し」というモーメントはあった。けれど全部が強度的・情動的なものに巻き込まれていくのがいいんだ、という筋は結局「そういうものを体現している芸術が偉い」に着地してしまう。そこから一歩ステップバックして、自分はアーティストではなく哲学者で、アーティストがやるべきことと哲学者がやるべきことは違う、というところに返ってくるのが晩年の『哲学とは何か』——その筋書きで非美学は書かれている。それでもドゥルーズは、いまだに前段のタイプの読まれ方をされることが多い。

この項目が出てくる回

関連項目

となりで喋られていたこと

韻を踏んでいること

この項目に言及している項目