誰も薬の話をしない
だれもくすりのはなしをしない
ケアや精神分析の2020年代的な消費のされ方を見ていて不思議なのは、誰も薬の話をしないことだ、と福尾。
番組より
誰も薬の話しないの。斎藤環さんもそうだし松本卓也さんもそうだし。めっちゃざっくりケアをひらく的な文脈の中で薬の話って全然されなくて。
実際医療の現場では薬で治すのがメインのはずなんだよ。でも人文書っぽい精神医学寄りのものを読んでると、誰ももはや薬を処方してない世界みたいなものがあるような気がしちゃうんだよね。
この項目について
斎藤環も松本卓也も、ケアをひらく的な文脈の中で薬にはほとんど触れない。他方で音楽やコンテンツを語るときにはセロトニンだドーパミンだと、めっちゃ情動の話をしている。その住み分けが不思議だ、と。実際の医療の現場では薬で治すのがメインのはずなのに、人文書寄りの精神医学を読んでいるともはや誰も薬を処方していない世界のように見えてくる。荘子itは、斎藤環の本を読んでスタックが解除される感じがして近所の診療内科に行ってみたら顔を見てチラッと、で処方薬が出てくる、というギャップを挙げる。福尾は、彼らが身体性というときの身体性が狭いとも言う——温かみのあるヒューマンなものが育まれる土台としての身体性は語られるが、「薬を飲んだら変わるよね」というドライで冷たいほうも身体性のはずなのに。
この項目が出てくる回
関連項目
- 過保護と放課後村上春樹をめぐる言説を見ても、売り方としてパッケージングされた通りの消費のされ方しかしていない感じがして、それは寂しい——という福尾の話に、「過保護だと」「じゃあ密の次は過保護」と名前が付く。
- 消費のされ方でコンテンツを分けるドパガキ的な分け方は、消費のされ方でコンテンツを分けている——それは結構不思議なことで、実はあまり今までなかったのではないか、と福尾は言う。
- 道徳的に滅菌された状態で消費されているダナ・ハラウェイの受け取られ方について福尾が言うこと。
- 制度的にはそうなりました荘子itがこの回で離婚を報告する。
- アドマチックドパガキの対義語はセロトニンおじさんではなくアドマチであってほしい、と福尾が言い出す。
- 他者の魂を信じるための装置自分以外にも他者がいるということを信じる感覚は、アドマチックで生成される、と荘子itは言う。
- 家ではなく街に住んでいる家が一回なくなっても外側に街があるのは素晴らしいことだ、という荘子itの実感に、福尾が書きかけのエッセイを重ねる。
- 出口そのものを作る批評が対象作品を価値づけるための回路が、めっちゃ少ない——すでに共有されている道徳的な良さに回収するしかできない、と福尾。
となりで喋られていたこと
韻を踏んでいること
- 八月の光oiai・どうしても入ってこなくて途中でやめていたが、読み直したらとんでもないと思った。
- 鬼滅の刃とシャーマンキングの違いoiai・『鬼滅の刃』は、古き良き日本的なものと近代化・個人主義の波が同時に来ている大正時代を舞台にしていて、鬼舞辻無惨たち鬼は西洋風の格好をした不老不死=個人主義の極北、炭治郎たちは仲間や家族のために戦うというイデオロギー闘争として読める。
- 相談という手を取った置き配oiai・相談の形をとってはいるが、実は「その人にそのことを言っとく」というメタデータの方が本体になっているコミュニケーションのこと。
- 脳の容量の取り合いoiai・同棲を始めたころ、福尾は「めっちゃいろいろ聞かれるな」と負担に感じていた。
この項目に言及している項目
- アドラブルアドマチックの語感から。
- 意味より強度、の使われ方宮台真司ですらドゥルーズを参照して「意味より強度」と言うが、それは物語なんか信じないで情動と溢れんばかりのものにまみれようぜという、ある種ドパガキ的で30代的な物語でもある、と荘子it。
- インドでは警備員も寝ている福尾が黒嵜想・大和田俊と3人でインドに3週間いたときの話。
- 嘘喰い荘子itと岩崎が共通して好きな漫画。
- 海辺のカフカ『カホ』からの流れで福尾が10年ぶりに読み返した。
- AとCの関係はAとCだけで変わらない離婚の報告のあとで福尾が言う。
- サイボーグ宣言ダナ・ハラウェイの文章。
- 神保町まんてんのカレー監督の岩崎のソウルフードで、出会って10年、幻の存在だったのについに一緒に行けた店。
- 総駆り立て体制ではない昼寝インドでは警備員が木陰で寝ている。
- ダナ・ハラウェイ道徳的に滅菌された状態で消費されているの例として出てくる。
- 間違いがなくなることによって悪意が伝わるワールドカップのVARの話から。