程度問題という言葉が持つ無害化の力
ていどもんだいということばがもつむがいかのちから
「さすがに」と「とはいえ」はニュアンス的に近い、という話から、結局すべては程度問題だ、というところへ。
番組より
程度問題っていう言葉の、その程度問題の内実を全て殺す、なんかさ無害化するさ力が半端なくない?
そういう程度問題みたいなものをくくられない形で、本当の程度問題みたいなものを語ろうとするメタファーを探してるんだよね。
この項目について
荘子itは程度問題というあり方をすごく愛しているのだが、「程度問題」という言葉には、その程度問題の内実を全て殺し、無害化する力が半端なくある。福尾が「程度問題と、あと人によるよね」と足す——ケースバイケース。逃げか、程度問題逃げか。でも現実はそうなのだから、正しすぎて意味がないことになる。だから荘子itはクラッチのような、「そもそも論」「程度問題」「人による」に括られない形で本当の程度問題を語ろうとするメタファーを探している。
この項目が出てくる回
関連項目
- 否定され力音楽批評はずっと同じ二項対立の揺り戻しばかりで、全然アウフヘーベンしていないのではないか、という話から。
- パワーとタフネス可能なものとか、起こるかもしれないこととか、できるかもしれないものではなく——可能とか偶然とか必然でもなく——とにかくこれが起こったということは事実であって、その起こったことに対してどう自分が引き受けるか。
- 僕が興味深いと思うのは接続詞なしでガンガン書いていくのも好きだが、ありもしない接続を使うことがある、と福尾は言う。
- 疎の街が現実の空間に影響しているとしたら鳥取のジグシアターに、3年前に移住してきた左官職人の人がいて、「ここは結構、疎の街をうまくやれてると思うんですよ」と言ってくれた。
- 言語は全部借り物である平野啓一郎が、編集者から送られてきた対談原稿に自分の発言として「〜みたく」という言い方が入っていたのが嫌だ、とXに書いていた件から。
- 相対的匿名性いま同じことをXで言っても変なポジショントークに回収されるだけだから言わない——ポッドキャストくらいが適度でいい、というところから。
- 音楽批評には敵がいない今は肯定性の文化だから、敵を作るのは結構大事だ、と福尾。
- 気持ち悪がられ可能性否定され性と並んで出てくる言い方。