認知のギャップが対話に現れる
にんちのぎゃっぷがたいわにあらわれる
目の前に作品があると記述しなくて済むの代案として福尾が出すもの。
番組より
認知のギャップっていうか、好奇心のギャップみたいなものが、そのままその対話に現れた方が面白いんじゃないかな。
一つの展覧会を一通り見た後に、どっかで集まって、それぞれが自分が面白いと思った作品を一個ピックアップして、それについて言葉だけで改めて説明して。
この項目について
一つの展覧会を一通り見たあとで、どこかに集まって、 それぞれが面白いと思った作品を一個ピックアップして、 それについて言葉だけで改めて説明する。 そうすると、他の人の発表を聞いて 「その作品どんなだったか全然思い出せない」ということが起こる—— 認知のギャップ、好奇心のギャップが、 そのまま対話に現れたほうが面白いんじゃないか。 同じものを同時に見ている前提を外す、という点で、 初等教育的な世界観への具体的な対案になっている。
この項目が出てくる回
関連項目
- リングの外で喋る安心して殴り合えるボクシングのような映画があるとしたら、自分たちがやっているのはそのリングの外で喋る感じだ、と荘子itは言う。
- 目の前に作品があると記述しなくて済むアート関係の仕事で、対話型鑑賞をやってみたいという依頼を受けたが、福尾は最終的にその形は嫌だと言った。
- 千本ノックで言葉を鍛えられた今ならほぼパワハラと言われてもおかしくないような、超厳しいやり合い。
- 書評を依頼された時点で読者になれない作家二人の読書会で出ていた指摘として荘子itが紹介する。
- 色がつかないようにする千葉雅也が『置き配的』を、出てから半年ほど置いてから読み始めた。
- 創造的な非対称性『置き配的』の最後に書いた話。
- 公に出すからこそ偏った主張ができる創造的な非対称性を荘子itが受ける。
- ハラスメントは引用されているジュディス・バトラー『触発する言葉』を福尾が紹介する。