20年前の東浩紀として振る舞わされる
にじゅうねんまえのあずまひろきとしてふるまわされる
対談後のツイートの「20年後の君に期待している」について。
番組より
東さんにとっては僕って20年前の東浩紀だし、今の東浩紀は20年後の僕なんだよね。
そこのなんか時空の狭間にどんどん逃げていかれる、向き合わない、そこの態度がどうしてもやっぱ崩せなかった。
この項目について
二人の年齢差はちょうど20歳なので、 それは「君が今の僕の年になったときにどうなるか期待している」ということ—— 向こうにとって自分は20年前の東浩紀だし、 自分にとって東浩紀は20年後の自分ということになる。 その時差を利用した共同関係に、形式的にこちらも乗らざるを得ない。 だがそれは、二人ともが今、同じ現在にいるということから うまくすり抜けるためのロジックでもある—— その時空の狭間にどんどん逃げていかれて、向き合わない。 その態度がどうしても崩せなかったのは心残り。 福尾は「今すでにある時間のいびつさに どう向き合うかのほうが大事なんじゃないか」と言い、 東浩紀は「それに向き合うためには、 今と今以外の時間の共同関係がないと始まらない」と返す—— そこで永遠にすれ違う。
この項目が出てくる回
関連項目
- ブームはハイプであるポッドキャストブームと呼ばれるものがあるらしい、というところからポッドキャストサミットというイベントが立ち上がっている。
- アートウォッシュされた街福尾が住む黄金町は、その典型だと言う。
- 虚構を現実化したい派と現実を虚構化したい派荘子itによる、めちゃくちゃ雑な分け方。
- 主体的に疎にしていく一緒に行こうと言われてすっぽかされ、一人で美術館に行くほうがいい。
- ちょっとつついたら泣いちゃいそうな自分**寂しさというものに向き合う時間が、今どんどんなくなっている。
- 許可された途端に疎がなくなる**「ここに彫刻を置けるぞ」という発見と、 あとから来た我々がその彫刻を発見すること—— その連鎖のあり方が疎。
- あえて性を脱色する90年代の美学で言えば、それは 「透かし」「外し」 として言われていたもの。
- 週1回スナップされる服番組が3か月前からビデオありになって、 **週1回、私服を見せるという形式になった。
韻を踏んでいること
この項目に言及している項目
- 口が先に動くTaiTanに番組を褒められたとき、 **お礼ではなく「福尾がポストポストアポカリプスと言っていたのを 微妙だと思って『しっぽ』にした」という説明を早口でしてしまい、 「手柄を全部横取りしようとしている」ように見えてしまった。
- 高校生バンドみたいなノリで始まってほしいポッドキャストが流行ってきているので、 **クラスの面白いやつと「実は俺も面白いんだよ」と、 昔で言えば「芸人一緒にやらへん?」というノリで、 「ポッドキャスト一緒にやろうぜ」というのが起きているとしたら、 それはめちゃくちゃバンドで、そう
- 疎の街番組のオンラインコミュニティ。
- 本当の無駄「無駄がいい」という話は、すぐ大落ちしがちだと荘子itは言う—— **年収数千万の広告系の人が言う「無駄が大事だよね」ではなく、 本当の無駄がやりたい。
- 呼んでいないのに来ないやつに怒る対談の打ち上げのあと、東浩紀のタクシーをみんなで見送って解散した直後、 「**群像編集者と福尾匠は二次会に行っているに違いない。